はじめての三国志TVをご覧のみなさん、今週もお疲れ様でした。今回のお疲れキャラは周瑜です。
周瑜と孫策は断金の交わりで有名ですが、その出会いの場面を正史三国志の周瑜伝で見てみるとこのようにあります。
孫堅が董卓を討つ義兵を挙げた時、家族を舒に移した。孫堅の子の策は周瑜と同じ年であり、独りだけ親交を深めた。孫策が独り周瑜と親交を深めた?漢文なので様々な意味の取りようがあるとは思いますが、孫策が周瑜としか交友を結ばなかったのか?
あるいは、周瑜以外の周一族が成り上がりの孫氏に冷淡な態度だったのか?いずれにせよ、社交的なイメージの孫策にしては、仲良くしていたのが周瑜だけというのは奇妙な話のような気もします。そういう事もあってか、父の孫堅が戦死すると孫氏は舒を引き払うんですけどね。
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