周瑜はどうして独立しなかったの?格下の孫家に仕えた周瑜の思惑




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君主論18 kawausoさん

 

歴史の裏話って面白いですよね?

漫画や映画や小説では、当たり前のように思われている事実が当たり前ではなかった!

 

周瑜

 

こういう話は、固定化した歴史上の人物像に改定を求め、古臭いイメージから解き放ち、新たな魅力を見出してくれたりします。例えば、三国志では忠臣扱いの周瑜(しゅうゆ)。彼は自分より格下の孫策(そんさく)になぜ仕えたのでしょう?

 

なんで独立して天下を狙おうとしなかったのでしょうか?




周瑜はどうして独立しなかったのか?ズバリ

 

では、いつものように、長い記事を読む時間がない読者の皆さん向けに、どうして周瑜が呉の忠臣で終わり独立しなかったのか?についてズバッとかいつまんで説明します。

 

1 周氏は揚州盧江(ようしゅうろこう)に地盤を持つ名族で三公を輩出
2 当主の周暉(しゅうき)董卓(とうたく)に危険視され殺害。
周氏の勢力は後退。
揚州で支配者になった袁術(えんじゅつ)に周氏は従属する。
3 袁術に孫堅(そんけん)の家族の世話を頼まれ周瑜と孫策は親友となる
4 周瑜が財政的に窮乏。
魯粛(ろしゅく)から穀物倉の援助を受ける
5 孫策が袁術から独立すると周瑜は魯粛を連れ同盟者として参戦
6 江東を制覇した孫策が暗殺され孫権(そんけん)が後を継ぐと疎遠になる
7 赤壁(せきへき)前夜、魯粛から孫呉への協力を依頼される。
周氏は後漢の名家であり曹操(そうそう)を成り上がりと嫌っていたので
魯粛の勧めに従い同盟参戦し、赤壁で曹操軍を撃ち破る
8 呉と共闘して天下統一を意図するが矢傷が悪化し病死
9 周瑜が呉の忠臣というのは江表伝(こうひょうでん)や呉書の創作

 

周瑜とkawauso

 

このように周氏は元々、董卓に恐れられる程の地盤を盧江に持ちましたが、当主が董卓に殺害される不幸があり勢力が後退。単独で覇を唱えるのが不可能になり袁術に従属。

 

ほっぺたに矢を受ける孫策

 

その後袁術から独立した孫策と同盟して江東に()を唱えますが、孫策の死により同盟は解消されます。

 

魯粛と周瑜が詐欺を決行

 

しかし、共通の脅威である曹操の侵攻に魯粛を介して孫権と同盟し、水軍を用いて曹操軍を撃退、

 

亡くなる周瑜

 

いよいよ益州(えきしゅう)に覇を唱えようとしますが樊城(はんじょう)攻めで受けた矢傷が悪化して病死しました。以下では、周瑜が独立しなかった理由についてより詳しく見ていきます。

 

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董卓を恐れさせた周氏

司馬朗と董卓

 

周瑜の家系は従祖父の周景(しゅうけい)、そして周景の子周忠(しゅうちゅう)が続けて三公の大尉に上るなど名家です。

 

周忠の子、周暉(しゅうき)洛陽令(らくようれい)の頃、董卓の専横を嫌い官を辞して故郷の盧江に帰り、弟と共に人物を優遇したので、江水と淮水の間で勢力は盛んになり、周暉の馬車には常に百余りが付き従う程でした。

 

ところが周暉は洛陽で帝が崩御したと聞き、洛陽に残る父の周忠に善後策を相談しようと上京した所で、周氏を危険視する董卓に捕らえられ殺害されました。

 

 

これにより周氏の勢力はガタ落ちし、その後、揚州を支配した袁術に従属します。袁術は、部将孫堅の家族の世話を周氏に命じ、ここで屋敷を提供したのが周瑜の家で、この縁で周瑜と孫策は断金の交わりを結ぶ事になりました。

 

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【呉のマイナー武将列伝】
呉の武将

 

財政的に窮乏し単独で戦えない周瑜

魯粛と周瑜

 

袁術に従属した周瑜ですが、周氏の勢力後退は深刻で一族郎党を養う資金にさえ困ります。そこで金策に出た周瑜に素封家(そほうか)の魯粛が穀物倉の1つをプレゼントしました。周瑜は、この事を終生の恩義とすると共に魯粛との交流を結びます。

 

魯粛

 

そんな折に、孫策が力をつけ袁術から離脱して独立し劉繇(りゅうようを破って江東を落とそうと画策。周瑜は魯粛を強引に誘い、断金の交わりを奇貨として同盟軍として加わります。本当なら、周瑜単独で覇を唱えたい所ですが、衰えた周氏の勢力では難しいので孫策とくっついて、後で取り分を得ようという事なのでしょう。

 

周瑜の功績は目覚ましいのですが、途中で袁術に呼び戻され将軍に任命されます。しかし、袁術には先がないと見た周瑜は「居巣(きょそう)の県長になりたい」と嘘をいい、そのまま赴任しないで孫策の下に逃げていきました。

 

魯粛、周瑜、袁術

 

ここで周氏は袁術に従う派と孫策に従う派に二分したようで、結果的には孫策に組した周瑜が勝組になります。

 

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何故か盧江に出される周瑜

孫策は皇帝・袁術について語る

 

功績抜群の周瑜ですが、江東を制覇した孫策からは意外な命令が下ります。周瑜の声望が盧江に著しいとして、呉から出して牛渚(ぎゅうしょ)の備えとしたと言うのです。

 

そして、その後は周瑜を別働隊のようにして扱い、江夏太守として荊州(けいしゅう)に攻め入らせ、廬江(ろこう)(かん)を落とした時に、美女として名高い大喬(だいきょう)小喬(しょうきょう)を得て大喬は自分が娶り、小喬は周瑜に娶らせています。

 

結婚を喜ぶ孫策

 

周瑜の声望が盧江に著しいのは、周瑜が盧江の名族だから当然です。これは、孫策が命じたのではなく同盟相手の周瑜が「平定作業も一段落したし、俺は地盤の盧江に戻り孫策をサポートしよう」と言い出した結果ではないでしょうか?

 

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