広告

洛陽と長安が首都になった理由

2022年10月30日


はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし 洛陽城

 

現在の中国の首都は北京ですが、三国志の時代は、それよりも遥かに西寄りで洛陽と長安でした。

 

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

しかも、洛陽も長安も漢の時代だけではなく、唐の時代頃まで、歴代王朝の都だったのです。では、どうして洛陽と長安が王朝の首都に選ばれたのでしょうか?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



洛陽と長安が首都になった理由1:山脈

祁山、街亭

 

答えは大きく分けて3つあります。1つは、洛陽と長安は盆地で周囲を山脈に囲まれている事です。山脈のお陰で洛陽と長安へ大軍が侵入するルートは限られていて守る側は少数の兵力で有効な防御が出来ました。

 

こちらもCHECK

董卓
みんな演義に騙された?董卓の長安遷都と洛陽炎上には嘘がある!

続きを見る

 

はじめての三国志Youtube漫画

 

 

 

洛陽と長安が首都になった理由2:河川

劉備

 

2つ目は洛陽と長安の近くを黄河をはじめとする河川が流れていて農耕に便利で飲料水に恵まれているという事です。水が豊富なら農業生産で多くの人口を養う事が出来、籠城しても長期間持ちこたえる事が可能になります。

 

こちらもCHECK

三国志大学
曹丕が洛陽に設置した太学が20年も大して卒業生を輩出できなった理由

続きを見る

 

三国志ライフ

 

 

洛陽と長安が首都になった理由3:山脈が盾

荒れる黄河

 

3つ目は暴れ川である黄河の水害を山脈が盾になって防いでくれる事です。黄河には大量の土砂が含まれるので氾濫を起こすと水流が土石流となり地上の全てのモノを押し流してしまいますが、洛陽と長安はこの黄河の水害から守られていたのです。

 

参考文献:ウィキペディア

 

こちらもCHECK

荒れる黄河
黄河(こうが)とは何?どんな猛将も敵わない、最凶の暴れ河

続きを見る

 

鍾会の乱

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-三国志の雑学
-