みんな演義に騙された?董卓の長安遷都と洛陽炎上には嘘がある!

2020年10月10日


 

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正史三国志 vs 三国志演義で揉める現代人

 

三国志ファンの中には、正史三国志重視で、三国志演義の影響を受けていないと豪語する人がいます。でも、そんな人でさえ無意識下で入り込む演義の影響を排除するのは容易ではなく、知らない内に演義の脚色を事実だと勘違いしている事があります。

 

三国志(歴史)を誇張しまくる羅貫中 ver2

 

なぜ、そんな事が起きるのかと言えば、三国志演義は史実の中にフィクションを織り混ぜリアリティを増す作業をそれこそ無数に施しているからなのです。今回はkawausoもすっかり騙された董卓最大の悪行、洛陽焼き討ちと長安遷都(せんと)について考えてみます。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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あの洛陽炎上シーンはかなりの脚色が入っていた

董卓

 

三国志のハイライトとして名高いのは、洛陽炎上のシーンです。袁紹を盟主とする反董卓連合軍を恐れた董卓は、李儒(りじゅ)の意見を容れて、突如長安に遷都すると言い出し群臣の反対を押し切り強引に実行します。

 

この洛陽炎上の阿鼻叫喚は三国志演義に以下のように描かれています。

 

董卓は(李儒)の提言を入れて、ただちに騎兵5000を派遣して洛陽の富民数千戸を捕らえさせ、残らず城外で打ち首にしてその財産を奪った。

次に、李傕(りかく)郭汜(かくし)は洛陽の住民数百万を残らず駆り立てて長安に向かわせた。

市民の一群の次には必ず軍隊を一群挟んで無理やり護送するので、道端に命を落とす者数知れず、その上、兵士らは市民の妻に凌辱(りょうじょく)を加え、食料を奪うがままにさせたので泣き叫ぶ声は天地をおおいつくした。

 

炎上する城a(モブ)

 

董卓は出発の間際になると、城門に放火して民家を焼き払い、宗廟(そうびょう)、宮殿、官庁にも火を放ったので、南北の両宮殿で燃え盛る紅蓮(ぐれん)の炎が二匹の蛇のように入り交じり、長楽の宮殿も残らず焦土と化してしまった。

 

それからまた、呂布を遣わし先帝及び、皇后、妃たちの墳墓を発かせて埋めてあった宝物を取らせたので、兵士たちは事のついでに市民や官人の墓まであばきつくした。董卓は金銀財宝反物など車数千台に満載し、天子や妃たちを脅かして連れ出し、真っすぐに長安に向かった。

 

内容に納得がいかないkawauso様

 

いやー、「講談師、見て来たように嘘を言い」とは正にこの事!

あんた現場を見てたのか?と羅漢中(らかんちゅう)に突っ込みたくなるようなリアルな描写です。

 

洛陽炎上は、三国志のハイライトで映画、ドラマ、漫画でも繰り返し描かれて、三国志を知る人は概ね、これが事実だと信じていると思います。でも、ここに描かれた出来事の70%くらいは嘘なのです。

 

正史三国志の長安遷都

董卓

 

では、次に正史三国志董卓伝を読んでみましょう。

 

董卓は山東から豪族が一斉に蜂起したので恐怖にとらわれ落ち着かなくなった。

初平元年(190年)2月、かくて天子を遷して長安に遷都した、洛陽の宮殿に火をつけ、(みささぎ)(歴代皇帝の墓)を

ことごとくあばいて宝物を奪い取った。董卓は長安に入ると太師となり尚父(しょうほ)と号した。

 

君主論 董卓

 

陳寿が記した正史での董卓の長安遷都のくだりは、たったこれだけしかありません。ここだけを見ると、董卓は洛陽の宮殿に火をかけて、歴代皇帝の墓を(あば)いたものの、洛陽そのものには火を放っていませんし、金持ちを皆殺しにしたとか洛陽の住民を強制連行したという話も存在しません。

裴松之(歴史作家)

 

もっとも、裴松之(はいしょうし)が董卓伝を補った続漢書には、董卓は自ら兵を引き連れて、南北の宮殿、宗廟、政府の蔵、民家にまで火を放ち、また多くの富豪を捕らえて罪をかぶせて処刑し財産を没収したので無実の罪で死んだものは数知れずとあります。

 

三国志演義は、裴松之が補った続漢書の記述から洛陽炎上の董卓の暴虐シーンを産み出したのでしょう。しかし、陳寿が書いた正史三国志には、この部分は無かったのです。

 

はじめての漢王朝

 

董卓が洛陽を焼くまでには時差がある

李傕、李カク、孫堅

 

もう一度、おさらいしてみると、陳寿が記した正史三国志本文では、董卓は宮殿を焼いて歴代皇帝の墓を(あば)いたものの、洛陽そのものは焼いていない事が分かりました。では、一体、いつ洛陽は焼かれたのでしょうか?

 

それを解くカギは、正史三国志の孫堅伝に記載されています。少し長いですが、読んでみましょう。

 

水滸伝って何? 書類や本

 

初平2年(191年)2月、陽人(ようじん)の戦いで孫堅が董卓軍を破り、副将の華雄を(しば)り首にした。

 

董卓は孫堅の勇猛さを恐れ、将軍李傕を派遣して和睦を求め、孫堅が子弟で刺史・郡守に任じたい者がいれば、その通りに任命してやろうと甘言で釣ろうとした。

 

しかし孫堅は、「董卓は悪逆非道で皇室を転覆させた奸賊であり、奴の三族を族滅して天下に示さないと私は死んでも目を閉じる事はできない。どうして和睦が出来るのか?」と拒否して、再び大谷に進軍し洛陽まで九十里の距離まで来た。

 

董卓

 

董卓は洛陽を焼きつくして、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)で関中に引っ込んだ。孫堅はかくして前進して洛陽に入り、皇帝の墳墓を修復し董卓の盗掘箇所を埋めた。修復を終え軍を引いて還り、魯陽に駐屯した。

 

 

お聞きの通り、洛陽が董卓に焼かれたのは、西暦191年の2月以後である事が分かります。

 

三国志演義では陽人の戦いは丸々カットされているので、董卓が献帝を長安に移動させると同時に洛陽を焼いたように描いていますが、実際には、それから1年以上も洛陽は存在していたのです。

 

董卓

 

これだけ時差があれば、洛陽の住民を強制的に追い立てる必要はありません。住民が長安に移動しているのならとっくに移動しているはずで、劉備のように孫堅軍が近くまで迫っているのに、董卓軍が住民を連行してのろのろ退却しているとも考えにくいです。

 

つまり、董卓による洛陽住民の強制連行は無かったのではないかと考えられるのです。

 

三国志ライターkawausoの独り言

 

三国志演義の過激な描写と違い、董卓の長安遷都は、最初に献帝と官人と官女を長安に移動させ、次に宮殿を焼いて、歴代皇帝の墓を発いて財宝を回収して後は、洛陽に駐屯して、反董卓連合軍の動きを見ていたと考えられます。

 

住民は嫌々長安に移動して行ったと考えられますが、董卓軍により強引に追い立てられ、疲労で道端で死んでしまうような事は、陳寿の正史三国志には書かれていませんし、実際には無かったのではないでしょうか?

 

陳寿(晋)

 

そもそも、陳寿は董卓を性格がねじ曲がった暴虐非道な男で、歴史上、これほど残忍な男もいないであろうと100%の悪人として書いています。

 

また、董卓が宴席の余興として、北地郡で降伏した捕虜の舌を切り、目をくりぬき、手足を切断して鍋で煮込み、死にきれずにのたうちまわる捕虜の様子を平然と見て飲み食いしたという描写は、普通に正史三国志に記載されており、陳寿が描写を手加減している様子はありません。

 

ですので、もし董卓が洛陽の住民を強制的に長安に連行し、途中で多くの死者を出したのであれば、これを正史に書かないとは思えないのです。

 

参考文献:正史三国志

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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