はじめての三国志では、キレやすく面白いからと不憫な扱いを受ける周瑜はトマトジュースが好きだったり、喀血しすぎて風船のようにしぼんでしまったり後輩の陸遜に先輩風を吹かせたり、陥れようとして失敗したり散々な扱いです。
しかし、それは飽くまで虚構であり本当の周瑜は三国志を代表する名将でした。今回は、死を目前にした周瑜が孫権に宛てた遺言を紹介しましょう。
この記事の目次
弓馬を操り戦場を疾駆した半生を振り返る
周瑜の遺言は、呉志魯粛伝に引く江表記、及び本伝に出てきます。江表伝は呉ageのスタンスが強いのですが、文としてはこちらが名文なのでこちらを紹介しましょう。
瑜は凡才ですが、討逆将軍に特別の待遇を頂き、その腹心として栄えある任務を遂行し、兵馬を率いて鞭と弓を取り軍功を立てて、その大きな恩義に応えようと微力を尽くしてまいりました。
巴蜀を平定し、次に襄陽を陥れようとしておりますが、それは、我が君の霊威を以てすれば容易い事でありましょう
呉志魯粛伝に引く江表記
ここまでに周瑜は自分の半生を振り返っていますが、呉志の史料では、孫策の事には一切触れていません。ですが、断金の交わりと呼ばれた孫策と周瑜の間柄ですから、江表伝の方が、より周瑜の気持ちを伝えているように感じます。
私は不養生が祟り、どうやら長くはないようです
ここから、周瑜の遺言はどうやら自分は長くないと遺言らしい記述になります。
私は不養生が祟りまして、遠征の途中で病を得てしまいました。日々、医者に罹り治療を受けておりますが、どうやら良くなりません。元より、人生に死はつきもの、短い生涯で命を終える事については、全く、これを惜しむ程の事はありません。
ただ、口惜しく思うのは、私がかねて抱いてきた大志を実現できず我が君の為に働く事が出来ない、その一事だけが無念です
呉志魯粛伝に引く江表記
周瑜は襄陽を攻めている途中に曹仁軍の流れ矢を脇腹に受けて倒れます。矢尻には毒が塗ってあり、傷口は膿み、周瑜は麻酔なしで骨を削るという荒療治に耐えますが、元々、丈夫な体ではない周瑜の衰弱は止まらず感染症を引き起こし、とうとう床に臥せるようになったのです。
兵家の常とはいえ、たった一本の流れ矢で人生の幕を下ろさないといけないその無念さが表れている文章と言えます。
獅子身中の虫、劉備が気に入りません!
さらに周瑜の遺言は強敵である曹操や獅子身中の虫である劉備についての懸念に触れています。
只今は、曹操殿が北方にあり、国境は決して平穏ではなく、寄寓している劉備に至っては、虎を養っておるようなものです。天下の事は定まる事なく混沌としております。今こそ、有為の士は食事を後回しにして不眠不休で天下の為に働く時であり我が君に置かれてましても深い叡慮を求める所です
周瑜は、劉備を虎を養うようなものと形容し全く信用していません。一方で曹操がまだ、力を持っている事を理解していて、天下の心ある士は、食事も後回しにして不眠不休で事態にあたるべしと力説しています。
病を得て動く事も出来ない自身を周瑜はさぞかし口惜しく時勢を歯噛みして眺めていたのでしょう。
私の遺言を聞き届けて頂ければ魂が朽ちる事はありません。
遺言の最期に周瑜は盟友である魯粛を後任に推薦しています。彼ならば、自分が成し得なかった大業を継いでくれるその遺言にも力が入っていきます。
魯粛は忠烈の士であり、事にあたって大義を疎かにせず私の亡き後に、その任を背負える人物であります。どうか、後任に充てて下さいますよう・・
これは、間もなく死なんとする男の言葉です嘘は御座いませんもし、私の遺言を採用して頂けるなら、肉体は滅ぼうと魂は永遠に朽ちる事はありません・・
魂は永遠に朽ちる事がないとは、魯粛こそが自分を理解していて、その魯粛が采配を振るうなら、自分が生きているのと同じという意味でしょう。人事権は孫権の専有ですが、周瑜は死に臨んで人は嘘をつかぬと前置きしてまで、後生だから魯粛を後任にして下さいと言っているようにも感じます。
孫権は周瑜の遺言を一部受け入れた・・
実は周瑜と孫権の仲は、孫策と周瑜程には緊密ではありません。だからこそ、周瑜は「死人の最期の頼みだから」と泣きの一文を入れ後任を魯粛にしてくれと頼んでいるのです。そうでないと、程普あたりが都督になった可能性は高いでしょう。
実際に孫権は、周瑜の遺言を入れて魯粛を都督にしてはみたもののすぐに江陵を魯粛と程普、どちらに担当させるかで迷い、その間に劉備に江陵を実効支配されてしまいます。また、劉備を除くべきという遺言も結局拒否してしまいました。周瑜渾身の名文も孫権の心を感動させるまではいかなかったようです。
三国志ライターkawausoの独り言
孫権が周瑜の遺言を全て容れていれば、孫権は劉備を排除し、益州を手に入れて、北の曹操と南の孫権がにらみ合う南北朝が出現し早い間に天下分け目の総力戦が開始され、三国志は、もっと早く終結したかも知れませんね。
そうなれば、司馬懿の台頭もなく、中国の歴史は違う展開を見せたという事になるでしょう。
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