三国志の時代は、特に初期の群雄割拠の時代には、ひたすらにお互いを破壊しまくりました。そのため食糧が無駄に失われ、ライフラインが崩壊し、どの群雄も物資欠乏に悩みます。このような場合に、必須な能力が盗掘でした。
霊魂の不滅を信じていた古代中国人
中国人は霊魂の不滅を信じていて、死者が死後も何不自由なく暮らせるように生前の生活を墓の中に再現しようとしました。そのため、地下に彫られた墳墓は大きく、いくつもの部屋に分かれ、それぞれに武器、防具、金銀財宝、木簡などの文書類、さらに貯蔵がきく漬物のような食料まで大量に置かれていました。
墳墓の発掘は宝の山
中国史の発見が多く、このような墳墓の発掘によるのは当然なのですが、同時に、これらの膨大な資源は物資欠乏に悩む三国志の群雄にとっては宝の山でした。董卓の悪行の中に皇帝の墓を暴いて金銀財宝を持ち去った事がありますが、あれは董卓ばかりではなく、どの群雄もやっていました。
自分の墓が暴かれると観念していた曹操
曹操に至っては、発丘中郎将、摸金校尉という墓泥棒専門の役職まで置いていたのです。曹操は遺言で薄葬を望んでいますが、自分が散々に墓泥棒をしたので、どうせ自分の墓もいつかは暴かれると観念していたようですね。
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