全体では100名以上の人物が途中退場した死ぬどんどん大河「鎌倉殿の13人」本来なら登場人物が次々に死ぬ展開に心が折れて、視聴をやめる人も出そうですが、鎌倉殿に関してはそういう事はありませんでした。それはどうしてでしょうか?
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凄惨な権力闘争の後にある家族パート
100名以上の登場人物が途中でいなくなる辛いドラマにもかかわらず、視聴者がドラマを見続けた理由、それは鎌倉殿の本質がホームドラマだからでした。最初、伊豆の小豪族北条家に源氏の御曹司源頼朝が転がり込んできて始まったドラマは、その後源平合戦、義経追討、比企能員の乱、将軍頼家の暗殺、畠山重忠の乱、和田義盛の乱、将軍実朝暗殺と血しぶきに血しぶきを塗り重ねる惨劇が繰り返されますが、視聴者が「もう無理だ」と感じたタイミングで北条家ほのぼの家族パートが挟まれたのです。
ゴッドファーザーにサザエさんが挟まれる
どんなに悪辣で非道な事が起きても、北条氏は家族が集まると伊豆にいた昔に戻り、冗談を言い合い、オンベレブンビンバと間違った呪文を唱えて大笑いします。極端な話、ゴッドファーザーのパートが終わるとサザエさんが挟まるパートのお陰で、つらい修羅場が緩和されたから、多くの視聴者は心が折れずに完走できたと言えます。
北条政子と義時はサザエさんとカツオの関係
鎌倉殿は最初、家族の物語として幕をあけます。伊豆の時政の屋敷では大番役から帰ってきた時政をお祝いして三浦氏のような周辺豪族が集まっていました。ここで中心的な役割を果たしたのが政子で宴会を切り盛りしています。家事をてきぱきとこなす様子はまさにサザエさんでした。一方で弟の小四郎は、米蔵で米の量を記録する地味な存在でしたが、なんとかせよと頼られると、カツオのような悪知恵を発揮してピンチを乗り切ります。
そして、最後の場面でも中心にいたのは政子でした。鎌倉殿最後の10分間は鎌倉殿になった政子と執権になった義時だけの長いパートです。それは同時に姉と弟のパートであり、サザエさんとカツオのパートでもありました。
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仲間が消えていく中でも北条家はいつも賑やか
通常、戦国時代もののドラマでは、当初賑やかで活気に満ちていますが、佳境に入ると登場人物が消えていき、年老いた主人公とその妻くらいしか映らないのが普通です。絵ヅラもどんどん寂しくなり、最後は主人公も死んで幕という終わり方ですね。ところが鎌倉殿では頼朝や時政が退場しても泰時や時房、朝時のように次世代が北条家に加わり、家族としてはずっと賑やかで寂しくなりませんでした。これもどんな辛い事があっても、家族としてそれを乗り越えていく北条家の明るさに繋がり、視聴者の精神的負担が減りました。
ひどい目に遭わされても家族だから和解できる
鎌倉殿の黒い主人公である義時は、最終形態では妹の実衣の首を刎ねよと命じるほどのダークさを発揮しますが、政子が仲裁に入ってこれを阻止します。そして実衣と義時を会わせて「すんだ事は忘れましょう」と遺恨を残さないように諭すのです。普通に考えると自分の首を斬ろうとした兄を許せと言われても無理ですが、あの時は仕方なかった、あの時はやむを得なかったで納得するのも北条家のスゴさです。でも、北条家ほど極端ではないとはいえ、家族のせいで迷惑を被ったという経験はきっと誰にでもあるはず、他人なら到底許せなくても、家族なら時の経過で許してしまえるのも家族の良さかも知れません。
鎌倉殿はハードなホームドラマ
鎌倉殿はゴッドファーザー部分がサザエさんに挟まれたハードなホームドラマです。中盤以降は辛い展開の連続になっても、それでも視聴者がついてきたのは北条家が好きで、北条家の精神の絆が断ち切れることがなかったからでしょうね。
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