軍師はどうして必要になったの?【戦国時代の疑問】

2023年1月18日


 

後藤又兵衛

 

軍師官兵衛等、大河ドラマのタイトルになるほど、軍師という存在は戦国時代に欠かせなくなっています。しかし、そもそもどうして軍師が必要なのか?皆さんはご存知でしょうか?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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初期の軍師は占い師

軍議(日本史)モブb

 

戦国時代の初期には、軍師ではなく軍配者と呼ばれる職業がありました。この軍配者の仕事は、出陣の日取りや砦を築く方角の吉凶占い、あるいは沢山あった合戦のジンクスを取り去り無効化する呪いを執り行う事でした。

 

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戦国大名が大きくなると軍師が登場

名古屋城

 

軍配者は、戦国後期に入ると役割が大きく変化します。それまでの占いや縁起を担ぐ儀式の指南から、補給路の確保や、兵力の動員、合戦における人員の配置など、より具体的に合戦にかかわるようになるのです。

 

合戦シーン(戦国時代の戦・兵士・モブ)

 

その大きな原因は、合戦の大規模化でした。戦国初期の合戦は、精々数百から数千の兵力の激突で規模も小さく、戦いも数日で終わっていたので補給も軍の配置も簡単でよく、それよりも小数の兵力の士気を高める縁起担ぎが重要でした。しかし、戦国も後期になると双方から万単位の兵力が動員され、戦いも数ヶ月、あるいは越年する事もありました。

 

 

合戦の大規模化が軍師を生み出す。

兵糧を運ぶ兵士

 

兵力が大きくなると、もはや縁起担ぎのジンクスや占いなどあまり効果がありません。それより、大軍を維持するための補給路確保や迅速で停滞がない行軍、効率的な軍団の配置のような、より軍師っぽい仕事が重要になり合戦に特化した軍師に近い存在が登場してきたのです。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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