戦国時代最強軍師ベスト3を大胆紹介!

2023年1月20日


 

日本戦国時代の鎧(武士・兵士)

 

戦国時代は後半になればなるほど、武将ばかりではなく軍師に相当する人々が活躍しました。戦国時代も後期になると戦国大名が淘汰されてゆき、より力の強い大名同士が大軍を擁して数ヶ月も戦うようなケースが出てきて、長期的な戦術、戦略が重要視されるようになったからです。そこで今回は戦国の最強軍師ベスト3を紹介しましょう。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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3位 竹中重治

竹中半兵衛

 

竹中半兵衛という通称が有名です。黒田官兵衛と共に羽柴秀吉に仕え「両兵衛」と呼ばれました。半兵衛は美濃の斎藤道三の家臣の子として誕生しますが、色白で病弱な為に豆腐と呼ばれ蔑まれていました。

 

斎藤龍興がたるんでいると感じる竹中半兵衛

 

 

本来なら、そういう家臣を諫めるのが君主ですが、当時の戦国大名、斎藤龍興は一緒になって半兵衛をバカにします。それ以前に龍興は、美濃の政治を疎かにしていたので、キレた半兵衛は36人の仲間と共に稲葉山城を奪取。同時に龍興を手取りにしました。この時、半兵衛が龍興に「反省したか?」と問うと、龍興はすぐに「反省した」と答えたので半兵衛は「すぐに反省したという人間に、本当に反省した者はいない」と諭し、城を半年間奪い、その後に返還したそうです。

 

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2位 山本勘助

真田丸 武田信玄

 

 

山本勘助は、生涯の大半が謎に包まれた武田信玄に仕える軍師、用兵家です。三河国に誕生した後で、諸国を放浪し、各地の実力者に仕えた後、武田信玄の知遇を得て後は、川中島で戦死するまで信玄に仕えました。

 

上杉謙信と武田信玄の戦争

 

 

山本勘助は用兵に長けていて、軍隊を二手にわけ、一方が敵を挑発して気を逸らしている間に、もう片方が敵を打つキツツキ戦法を考案したとされます。また勘助は馬を騎兵として使うのではなく、戦場に到着するまでは移動手段で使用し、そこで馬を捨てて徒歩で戦場に突入する西洋の竜騎兵のような手法を考案したとも言われています。

 

武田騎馬軍団 馬場信春

 

 

武田信玄自体が関東のローカル大名なので、地味なイメージですが戦術のみならず、戦い方の革新をするなどオールラウンドで活躍する軍師です。

 

 

1位 黒田孝高

黒田官兵衛

 

通称の黒田官兵衛が有名です。羽柴秀吉の知恵袋であり、竹中半兵衛と並び「両兵衛」と呼ばれた軍師です。しかも若くして死んだ半兵衛に比較して長命で、秀吉の天下統一に尽力し、鳥取城では兵糧攻め、備中高松城では水攻めと地形と戦況に合わせ縦横無尽な策謀を駆使しました。官兵衛の出身である播磨は、赤松氏、宇喜多氏、浦上氏と権力が三転する複雑な政治状況があり、官兵衛の変転極まりない軍略はその土地の影響を受けていると言えるでしょう。

優秀すぎる黒田官兵衛に猜疑心が芽生える豊臣秀吉

 

しかし、その神算鬼謀は主君である豊臣秀吉にさえ恐れられ、領地も12万石止まりと功績に比較して不遇でした。また、多くの軍師が主君を補佐するだけで天下を獲る野心を持たなかったのに対し、官兵衛は関ケ原のドサクサに紛れて領土拡大を図り、戦いが長引けば徳川に弓を引いて天下を狙ったのではないかという噂もあります。

 

 

まとめ

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

世に軍師は数あれど、やはり総合力では黒田官兵衛が1位なんじゃないかと思います。読者の皆さんは、どう思いますか?

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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