今川氏真が家康に援軍を送れないのは長尾景虎のせいだった【どうする家康】

2023年1月28日


ヘタレすぎる徳川家康

 

NHK大河ドラマ「どうする家康」第3話「三河平定戦」では、織田軍の攻勢に苦しめられる三河松平の軍勢に対し、駿府の氏真が援軍を送らない事態が発生していました。結局、家康は今川と手を切り、織田信長と結ぶ事を選択するのですが、どうして氏真は援軍を送らなかったのでしょうか?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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長尾景虎の関東侵攻が原因

上杉謙信

 

大河ドラマでは、どうして氏真があたふたしているのか説明していませんが、氏真が三河に援軍を送れなかった大きな理由は、越後の長尾景虎の関東出兵にありました。景虎は以前から後北条氏と抗争を繰り返していましたが、桶狭間の戦いで今川義元が討たれた事で、甲相駿三国同盟が動揺すると踏んで関東に出兵し小田原城を包囲します。

 

何本も翻る軍旗と兵士(モブ)

 

 

関東の戦国大名は景虎有利と見て、続々と小田原攻めに参陣し総勢は11万人に上ったという説もあります。ここで北条氏康が頼りにしたのは三国同盟を結んでいる武田や今川氏でした。氏真も要請に応じて川越城に援軍を派遣しています。

 

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三河救援どころではなかった氏真

貴族趣味な今川氏真(和歌)

 

今川氏真が三河に援軍を送れなかった理由は他にもあります。桶狭間で由比正信や一宮宗是のような重臣や松井宗信や井伊直盛のような有力国人が討ち死にした結果。それまで盤石に統治できていた三河と遠江の国人の中で離反の動きが広がったのです。

 

徳川家康にスパルタすぎる石川数正

 

 

特に三河国人は、織田との戦いで常に先陣を強いられ人的犠牲が大きかったので、より事態は深刻でした。経験が不足していた氏真は、それらの微妙な人間関係を処理できず、新たな人質を要求したり、今川家から離反した菅沼定盈については報復として人質十数名を殺害しています。このシーンはドラマでも三河衆の女房の処刑として描かれていましたね。

 

織田信長が恐ろしすぎる徳川家康

 

これらの処置は逆効果となり、三河衆や遠江衆の離反を決定的にしました。氏真としては、もはや軍事力で支配地を繋ぎとめるしか手だてはなく、貴重な兵力を家康救援に差し向けるどころではなかったのです。分かって下さい!氏真も生き残るために必死だったんです。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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