NHK大河ドラマ「どうする家康」第4話では、あいさつに来た松平元康を相手に信長が相撲を取った様子が描かれました。相撲好きとして知られる信長ですが、どうして相撲に熱心だったのでしょうか?
信長はただの相撲好きではない
織田信長は、1570年に近江の常楽寺で大相撲大会を開催してより、度々、大規模な相撲大会を催し勝者は家臣に取り立てたり、金銀拵えの太刀を与えたり、領地や屋敷を与えるなど大盤振る舞いをしています。景品の豪華さに相撲大会は回を増すごとに参加者が増え、1578年の大会では1500人もの力士と力自慢の武将が参加しました。この盛況ぶりには信長の興行主としての才能も窺えますが、信長はただの相撲ファンではありませんでした。
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相撲はハダカで誰でも参加できた
一説によると相撲を裸で取るように命じたのは織田信長だとも言われています。理由は鍛えあげられた男たちの裸体が見たかったから…ではなく、身なりが貧しいために大会に参加する事を躊躇する参加者を気遣ったからです。当時は身なりが身分に直結していて、身分が低い事をバカにされるのが嫌で大会に参加しなかった強者もいたようです。信長は参加希望者は誰でも参加させていたそうで、貪欲に人材を求める一面が分かります。
裸のぶつかり合いでコミュニケーション
裸の付き合いという言葉もあるように、人間はお互い裸になれば、身分の上下を忘れて、仲良くなれるものです。織田家には実力主義の気風はありましたが、実際には家臣団でも信長に仕える時期が早い順に序列が存在しました。しかし、このような序列は能力で人材を引き上げようという時に抵抗勢力になります。そこで信長は相撲を通して家臣たちに裸の付き合いをさせコミュニケーションを円滑にしようとしていたのかも知れません。
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