ローマ教皇フランシスコは、宗教指導者会議参加のために3日間にわたり訪問したカザフスタンから帰国する機中で記者団に対し、ウクライナがロシアの侵攻から自衛するために各国が兵器を提供する事は倫理的に正当との考え方を示しました。教皇は侵略国に対抗すべく、自衛のために過不足なく兵器を使用することを認めるカトリック教会の正戦論について詳しく説明し、自衛は合法的であるとともに愛国の表現でもある」と述べました。
参考:ウクライナへの兵器供与、自衛のため倫理的に容認可能=ローマ教皇
正戦論とは?
正戦論は日本では耳慣れない言葉ですが、カトリックでは中世以来存在する思想です。概要は、戦争を不当なものと正当なもので区別し正当な原因をもつ戦争だけを教会は合法であると認めるとしています。聖戦論の背景には、中世ヨーロッパに誕生したキリスト教権力が不安定で、常に異教徒や異民族による侵略を受ける事情がありました。本来、戦争は避けるべきですが、一方的な侵略を受けた場合には、そう言っていられません。そこで、戦争には不当な戦争と正当な戦争があり、両者を区別する正戦論が確立していくのです。正戦論はキリスト教神学者、アウグスチヌスやイシドロス、トマス・アクィナスによって展開されました。
国際法の母体になった聖戦論
この正戦論が、近世初頭の自然法主義国際法学者 のフランシスコ・ビトリアやフランシスコ・スアレス、アルベリクス・ゲンチリス、ヒューゴ・グロチウスらによって一層法律的に発展しました。しかし、 18世紀に入って主権国家の勢力均衡による欧州世界の成立とともに国家をこえた判定者が存在しないことを理由として正戦論は観念論として捨て去られ、戦争当事国のいずれも正・不正とすることはできないとする無差別戦争観が国際法学で支配的となりました。
第一次世界大戦の惨禍で聖戦論が見直される
ところが、第一次世界大戦が、毒ガス、機関銃、戦車、飛行機のような近代兵器により大規模化し、主権を持つ国々が巻き込まれ、一般市民にも惨禍が広がるようになると、不当な戦争を禁止して、戦争を限定的にしようと考える思想が登場し、中世以来の正戦論へ回帰していき、正当な戦争と不当な戦争について論じられるようになります。
ローマ教皇はロシアを脅威と見做している
ローマ教皇が、これまでの見解より踏み込んでウクライナへの武器提供を倫理的に正当と認めたのは、ロシアによる侵略の残虐さが背景にあると考えられます。ロシア兵による民間人の虐殺、レイプ、民間施設への攻撃、あるいはウクライナ人の子供のロシア国内への連れ去りは、人道への挑戦であり看過できないという事でしょう。
翻って日本を見ると、いまだにロシアもウクライナもどっちもどっち論がはびこり、ロシアに領土を侵略されたままのウクライナに和平を呼びかけるお花畑の人々がいるなど、ロシア・ウクライナ戦争をまだ、対岸の火事と考えているフシがあります。北方領土問題を巡り、日本がロシアと国境を接している事に気が付かないのでしょうか?
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