どの三国志小説にも必ず出てくる「宦官」と呼ばれる名称。皆さんは「宦官」が一体何をする人かご存じでしょうか。多分知っている人は少数だと思いますので、今回はこの「宦官」始まりと何をしている人なのか紹介したいと思います。
つい最近までいた「宦官」!?
中国最後の王朝・清王朝。この清王朝は女真族の愛新覚羅出身のヌルハチが、バラバラになっていた女真族の統一から始まり、フリンの時代に明を滅亡させた李自成軍を北京から追い出し、李自成を滅亡させ、明の残党軍を撃破し、中国本土を統一。
その後清王朝は連綿と王朝を継続させ、1912年宣統帝・溥儀で幕を閉じることになる超長期王朝です。この初代ヌルハチとホンタイジは政治と軍事を三国志演義を読んで学んでいた事もあり、三国志と無縁ではありません。
さてこの清王朝には後漢王朝と同じように宦官と呼ばれる人々が存在していました。清王朝に仕えた最後の宦官は孫耀庭と呼ばれる人物で、1996年に94歳で生涯を終えたそうです。つい最近まで「宦官」が居た事に驚きの読者も多いかと思います。
誰が最初に宦官になったの??
清王朝までいた宦官ですが、中国のどの時代に生まれたのでしょうか。宦官は十八史略によると春秋時代で初めて、生まれたそうです。初めて生まれた宦官の名前は豎刁と言う人物です。
彼は春秋の五覇で有名な斉の桓公に仕え「管鮑の交わり」や諸葛孔明が憧れた・管仲と敵対。しかし豎刁は桓公と管仲亡き後、斉の政権を数人で結託して握り、斉の政治を乱した悪者でした。
この時から宦官は三国時代の宦官のように政権に取り入った悪者でしたが、彼ら宦官の仕事はどのような業務なのでしょうか。
宦官の仕事内容は??
宦官は王朝によって異なります。三国時代の宦官は君主の料理を作ったり、清掃などの雑務をメイン業務でしたが、他にも皇帝と宰相の連絡役になったり、色々な仕事をこなしていました。明王朝の宦官は「酌中志」と言う書物によれば、職務の内容によって十二監、四司、八局に分類され、これらすべてをまとめた二十四衙門と呼ばれる役所があったそうです。内官監と呼ばれる部署は国が行うすべての土木工事を監督。
また皇帝専用の屏風や調度品、椅子などを作っていた御用監。馬や象の世話をしていた御馬監。華族の爵位授与や公文書、割を保管する仕事を受け持っていた印綬監などがあります。
また四司も薪や木炭を集めたり、宮廷の泥さらいをする役職やちり紙を作ったりと大変でした。このように明王朝時代の宦官は役職ごとに仕事が細分化され、かなり多く仕事を請け負っていました。
春秋戦国時代~三国時代までの代表的な人物とは
歴史上の宦官にも有名な人物がいるのでしょうか。ここでは初代宦官が登場した春秋戦国時代~三国時代までに登場した有名な宦官を紹介したと思います。まず秦の始皇帝に仕え、キングダムにもちょこっと登場した趙高。
彼は始皇帝の死後、秦の二代目皇帝・胡亥を操って、政権を握ってやりたい放題します。その結果、秦の滅亡を早めることになり、最後は秦の最後の王・子嬰によって殺害されます。
次の有名人は前漢王朝の武帝の時代、李陵をただ一人弁護した事がきっかけで、武帝によって宮刑へ処せられた歴史家・司馬遷。司馬遷は歴史書「史記」を書いた事でも知られ、聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
最後の有名人は曹操の祖父で知られる曹騰。彼は後漢王朝の安帝、順帝、沖帝、質帝に仕え、優れた人物を見いだして、朝廷へ仕えさせるのが趣味だったそうです。他にも有名な宦官には後漢王朝の霊帝へ仕えた十常侍などがいます。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は宦官について紹介しました。宦官は中国だけではなく、アッシリアやアケメネス朝ペルシャ帝国、古代ギリシャやローマ帝国などの国々でも宦官と呼ばれる人々が存在していたそうです。
このように宦官は中国や西アジア、地中海地域で広がった制度でした。一応日本には「宦官」と呼ばれる制度は存在していなかったようです。
■参考 中公新書 宦官側近政治の構造など
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