曹騰とはどんな人?曹操の祖父にして皇帝となった宦官

2020年10月21日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

 

曹騰

 

宦官(かんがん)でありながら養子を取ることを許され、追号によって皇帝となった曹操(そうそう)の祖父、曹騰(そうとう
)
。そう、宦官で皇帝となり、曹操の祖父というすごいプロフィールの人物です!

 

三国志演義_書類

 

とは言えそんな曹騰は三国志演義の方では出番はなく、三国志でもイマイチ良く分からない人物と言うのが正直な話でしょう。そんな曹騰について、今回は紹介したいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



幼い頃から宦官の道へ

凡人すぎた楊雍(はてな)

 

曹騰について、実はその家系ははっきりとしていません。分かっているのは幼い頃から宦官の道へと進んだこと。120年頃には宮廷に入り、後の順帝(じゅんてい
)
である皇太子の学友になりました。順帝は曹騰をとても気に入っていて、宦官の最高位である大長秋にまでなったといいます。

 

四代に仕える曹騰

1度もミスをしなかった有能な宦官・曹騰

 

そんな曹騰は順帝から四代の皇帝に仕え、30数年の間に一度も落ち度なく、有能な人材を引き立てて自らは慎ましい態度を崩さず仕え続けたといいます。一度誤解から弾劾を受けましたが皇帝の信頼は揺るがず、曹騰自身は弾劾した人物の公正さを称賛したと言われています。

 

桓帝

 

そんな曹騰は桓帝(かんてい
)
の時代には隠居をし、桓帝の即位時に旧臣としての功績を褒められて費亭候に封じられました。

 

魏の皇帝になる曹丕

 

そして後229年、曹丕(そうひ)の時代に高皇帝と諡されます。追号ながら宦官で皇帝扱いという、かなり珍しい人物と言えるでしょう。

 

曹騰の家族

同年小録(書物・書類)

 

さて曹騰、生没年不詳なのですが字は分かっており、季興と言います。ここで少し考えたいのが曹騰には兄弟がいたのか、ということ。

 

武帝紀の注によると曹騰の兄に曹伯興、曹仲興、曹叔興という人物たちがいたようです。ただしこの三人については名前が伝わっておらず、字しか残っていません。また曹鼎という兄弟がいたようですが、こちらは兄か弟かはわかってはいません。昔の人間とは言え、はっきりしたことは分かっていないのは惜しい限りですね。

【次のページに続きます】

 

次のページへ >

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
セン

セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

-はじめての漢
-, ,