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忍者第1号は聖徳太子に仕えた?[世界で大人気の忍者を解説]

2023年9月24日


服部半蔵

 

忍者といえば、日本のみならず世界中で人気の存在ですね。日本の忍者がどうして世界的に人気なのか?それは忍者の存在がミステリアスな点も大きいでしょう。そこで今回は謎めいた忍者の真実の姿について解説します。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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忍者の歴史と起源

10人の言葉を同時に聞くことができた聖徳太子

 

忍者の起源は、そのミステリアスさを象徴するようにハッキリしていません。一説には、聖徳太子に仕えた「大伴細人(おおとものさびと)」が物部守屋と蘇我馬子との戦いで忍術を使い活躍。太子から「志能便(しのび)」という称号を与えられ最初の忍者となったとする話があります。でも、「志能便」ってなんとなく民明書房の当て字の匂いがしますよね?

 

 

忍者が登場した背景

武士なのに忍者とよく勘違いされる服部半蔵

 

忍者の存在が歴史的にハッキリ確認されるのは南北朝時代以降の事であるようです。忍者の正体は寺院や貴族などの大土地所有者に対し反抗的な態度を取った悪党でした。これらの悪党は元々の身分は様々ですが家督相続に敗れて土地を失ったり元寇などの軍事費出費で没落した人々で、生きる為に徒党を組んで広大な荘園を保有する寺院や貴族を襲撃。土地を奪い取ったり荘園同士の争いに介入し傭兵のような働きをしました。

 

 

日本全国に出現した忍者

時々諜報活動を失敗する服部半蔵

 

そんな悪党から派生した忍者は同時代に日本全国に出現し「乱波(らっぱ)」や「透波(すっぱ)」「草」「奪口(だっこう)」「かまり」など、様々な名前で呼ばれました。忍者に反権力の抵抗者イメージがあるのは彼らが虐げられた悪党から出発したせいかも知れません。

 

 

忍者の装束は野良着だった

 

石垣を登る忍者

 

忍者といえば黒一色の装束と目だけを出した頭巾ですね。あの独特の服装は山に入るための山着や田畑を耕す時の動きやすい野良着を改良したものでした。また、忍者カラーである黒ですが実際は真っ黒ではなく柿渋色に近い衣服を着用していました。あといくら忍者でも日中は目立つので忍者装束で動く事はなかったそうです。

 

忍者の武器

戦う忍者

 

忍者の武器は忍具と呼ばれ彼等の基本的な仕事である諜報活動や破壊工作、暗殺に特化していて飛び道具が多く、また武器以外にもサバイバルツールの役割も持ちます。一番有名な忍具が手裏剣です。金属製で四角形のモノから三角形、棒状のモノまでバリエーションがありますが重くかさばるので所持するのは2~3枚が限界でした。苦無も有名です。これは取っ手がついた槍の穂先のような武器で手裏剣のように投げたり手に隠し持って不意打ちをかけたりスコップ代わりに穴を掘るのにも使用しました。忍者刀は一般の武士の刀より反りが少なく切るより突き刺す事が重視されています。また刀の鍔は四角で面積が広く塀を乗り越える際には地面に立てて足場として利用されました。鎌は農民が使う農具であり、普段持っていても違和感がないので忍者も携帯しています。

 

 

忍者の防具

凍える忍者

 

忍者は闇に紛れて隠密行動をするので武士のように重い甲冑はつけられません。そこで忍甲冑と呼ばれる鎖帷子を忍者装束の中に着込んでいました。しかし、鎖帷子は10キロ以上あり重いので、普段は胸当てと呼ばれる鉄砲対策の薄い鉄板を防弾チョッキのように胴体に身に着けていたようです。また、まきびしは忍者が逃走経路を確保するのに使用されました。まきびしは三角形のトゲがついた金属製の道具であり追手が踏みつけると足の裏に突き刺さり歩行が困難になります。

 

 

忍術について

溺れる忍者

 

忍術と言うと大きな蛙を呼び出したり地面から火炎を吹きだしたり高速で動いて分身を産み出したりあるいは動物に化けてみたりと超人的忍術をイメージしますが、これらは架空の話です。何故なら本来の忍者の仕事は正体を隠して諜報活動をしたり破壊工作をしたり暗殺をする事なので自分の正体をばらすような派手な忍術は意味がありません。代わりに忍者が使ったのは、人から怪しまれず情報を聴きだす交渉術や対話術、文書や絵図を書かずに脳に焼き付ける記憶術、情報を正確に雇い主に伝える伝達術、負傷した時に自身を治療する医術、毒や薬を調合する薬学、敵城内で火災を起こす火薬術などでした。これらは忍者が、まだ悪党と呼ばれていた時代に交流があった山伏などから伝授されたものを引き続き研究し発展させたものです。

 

 

消えていく忍者

戦国時代の密談

 

忍者の全盛期は戦国時代でした。日本全土で戦国大名が割拠し毎日町地を奪い合う時代には忍者の仕事は多くあったのです。しかし江戸時代になると忍者の仕事は縮小、明治維新が成功して日本が中央集権化して藩が消滅すると国内に倒すべき敵がいなくなり忍者の需要も消えていきました。自らの正体を隠し活動する忍者は平和な時代には需要がなくなりますが、何をしているか分からないミステリアスな存在は多くの人々の心を掴み創作の世界では主役を務めるようになったのです。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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