忍者といえば、日本のみならず世界中で人気の存在ですね。日本の忍者がどうして世界的に人気なのか?それは忍者の存在がミステリアスな点も大きいでしょう。そこで今回は謎めいた忍者の真実の姿について解説します。
忍者の歴史と起源
忍者の起源は、そのミステリアスさを象徴するようにハッキリしていません。一説には、聖徳太子に仕えた「大伴細人(おおとものさびと)」が物部守屋と蘇我馬子との戦いで忍術を使い活躍。太子から「志能便(しのび)」という称号を与えられ最初の忍者となったとする話があります。でも、「志能便」ってなんとなく民明書房の当て字の匂いがしますよね?
忍者が登場した背景
忍者の存在が歴史的にハッキリ確認されるのは南北朝時代以降の事であるようです。忍者の正体は寺院や貴族などの大土地所有者に対し反抗的な態度を取った悪党でした。これらの悪党は元々の身分は様々ですが家督相続に敗れて土地を失ったり元寇などの軍事費出費で没落した人々で、生きる為に徒党を組んで広大な荘園を保有する寺院や貴族を襲撃。土地を奪い取ったり荘園同士の争いに介入し傭兵のような働きをしました。
日本全国に出現した忍者
そんな悪党から派生した忍者は同時代に日本全国に出現し「乱波(らっぱ)」や「透波(すっぱ)」「草」「奪口(だっこう)」「かまり」など、様々な名前で呼ばれました。忍者に反権力の抵抗者イメージがあるのは彼らが虐げられた悪党から出発したせいかも知れません。
忍者の装束は野良着だった
忍者といえば黒一色の装束と目だけを出した頭巾ですね。あの独特の服装は山に入るための山着や田畑を耕す時の動きやすい野良着を改良したものでした。また、忍者カラーである黒ですが実際は真っ黒ではなく柿渋色に近い衣服を着用していました。あといくら忍者でも日中は目立つので忍者装束で動く事はなかったそうです。
忍者の武器
忍者の武器は忍具と呼ばれ彼等の基本的な仕事である諜報活動や破壊工作、暗殺に特化していて飛び道具が多く、また武器以外にもサバイバルツールの役割も持ちます。一番有名な忍具が手裏剣です。金属製で四角形のモノから三角形、棒状のモノまでバリエーションがありますが重くかさばるので所持するのは2~3枚が限界でした。苦無も有名です。これは取っ手がついた槍の穂先のような武器で手裏剣のように投げたり手に隠し持って不意打ちをかけたりスコップ代わりに穴を掘るのにも使用しました。忍者刀は一般の武士の刀より反りが少なく切るより突き刺す事が重視されています。また刀の鍔は四角で面積が広く塀を乗り越える際には地面に立てて足場として利用されました。鎌は農民が使う農具であり、普段持っていても違和感がないので忍者も携帯しています。
忍者の防具
忍者は闇に紛れて隠密行動をするので武士のように重い甲冑はつけられません。そこで忍甲冑と呼ばれる鎖帷子を忍者装束の中に着込んでいました。しかし、鎖帷子は10キロ以上あり重いので、普段は胸当てと呼ばれる鉄砲対策の薄い鉄板を防弾チョッキのように胴体に身に着けていたようです。また、まきびしは忍者が逃走経路を確保するのに使用されました。まきびしは三角形のトゲがついた金属製の道具であり追手が踏みつけると足の裏に突き刺さり歩行が困難になります。
忍術について
忍術と言うと大きな蛙を呼び出したり地面から火炎を吹きだしたり高速で動いて分身を産み出したりあるいは動物に化けてみたりと超人的忍術をイメージしますが、これらは架空の話です。何故なら本来の忍者の仕事は正体を隠して諜報活動をしたり破壊工作をしたり暗殺をする事なので自分の正体をばらすような派手な忍術は意味がありません。代わりに忍者が使ったのは、人から怪しまれず情報を聴きだす交渉術や対話術、文書や絵図を書かずに脳に焼き付ける記憶術、情報を正確に雇い主に伝える伝達術、負傷した時に自身を治療する医術、毒や薬を調合する薬学、敵城内で火災を起こす火薬術などでした。これらは忍者が、まだ悪党と呼ばれていた時代に交流があった山伏などから伝授されたものを引き続き研究し発展させたものです。
消えていく忍者
忍者の全盛期は戦国時代でした。日本全土で戦国大名が割拠し毎日町地を奪い合う時代には忍者の仕事は多くあったのです。しかし江戸時代になると忍者の仕事は縮小、明治維新が成功して日本が中央集権化して藩が消滅すると国内に倒すべき敵がいなくなり忍者の需要も消えていきました。自らの正体を隠し活動する忍者は平和な時代には需要がなくなりますが、何をしているか分からないミステリアスな存在は多くの人々の心を掴み創作の世界では主役を務めるようになったのです。
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