『水滸伝』は明(1368年~1644年)の時代に作られた小説です。中国では『三国志演義』に匹敵する人気を誇っております。
モチーフは北宋(960年~1127年)末期の小規模な反乱です。
リーダーの宋江も実在しています。
今回は『水滸伝』のクライマックスである宋江の最期について解説致します。
「まさかのネタバレ回かよ!!そんな記事書いていいのか、晃?」
しかもですね、宋江は殺されるのです。
「もう言った!!いつも以上に容赦無いな」それじゃあ、始めます。
この記事の目次
盧俊義暗殺
梁山泊解散後に宋江たちは各地に赴任したり、故郷に帰ったりしました。一方、朝廷では高俅・童貫・楊戩・蔡京の4悪人は落ち着きません。
いつか、宋江たちがまた反乱を起こすのではと不安でした。そこで宋江たちを排除する計画を立てました。まず最初に白羽の矢が立ったのは、副首領の盧俊義です。盧俊義は堂々とした風貌から玉麒麟と人々から呼ばれています。
高俅たちは盧俊義を酒宴に招きました。提供した料理全てに水銀を入れていました。何も知らない盧俊義は、それをパクパクと食べてしまいます。帰る途中の船で盧俊義は急に体調が優れなくなります。
甲板に出て風に当たろうとしますが、ここでなんと足を滑らせました。盧俊義は泳ぐことも出来ずに、あっけなく命を落としました。
宋江暗殺
盧俊義を始末した高俅たちの次の標的は宋江です。宋江には皇帝からの祝いの品という名目で酒を送りました。無論、それにも水銀が入っています。
何も知らない宋江は皇帝からの品なので迷いもせずに飲みました。
ところが、しばらくすると体調が悪くなりました。そこでようやく、自分が毒を盛られたと悟ります。少し気がかりなのは、義弟の李逵です。李逵は自黒であることから、黒旋風と呼ばれています。
李逵は宋江の死を知ると必ず反乱を起こす可能性がありました。それだけは避けたかった宋江は李逵を呼びました。そして李逵にも自分と同じ酒を飲ませました。李逵が飲み終わった後に、宋江は全てを打ち明けます。
だが、李逵は何も怒りません。喜んで宋江についていくことを誓いました。その後、2人は息を引き取ります。宋江の死を知った梁山泊の軍師の呉用と花栄は驚きました。
呉用は知略に長けていることから智多星、花栄は自分を前漢(前202年~後8年)の弓の達人の李広と比較していることから小李広と呼ばれています。呉用と花栄は宋江のいない世界に未練は無いと結論をつけて、首つり自殺をして果てました。
処分無き悪人
北宋第8代皇帝徽宗は不思議な夢を見ました。夢の中に李逵が出てきて、なぜ自分や宋江を殺したのか怒っているのです。目覚めた徽宗は不審に思って宋江の死の真相を調べました。その結果、宋江が暗殺されたと分かりました。
激怒した徽宗は高俅たちを呼んで叱責しました。だが、高俅たちは上手に言い訳を述べて徽宗を言いくるめてしまいます。徽宗はそれ以上何も言えずに結局、高俅たちを処罰することは出来ませんでした。
こうして『水滸伝』は終わりを迎えます。
宋代史ライター 晃の独り言
今回はネタバレにはなりますが、宋江の最期について語りました。ちなみに、史実の宋江も北宋に投降した後の行方は分かっていません。
台湾の牟潤孫氏は、『水滸伝』の結末から史実の宋江も何かの悲劇的な最期を迎えたのではないのかと考えています。
しかし、宮崎市定氏は、牟氏の見解に対して解決を急ぎ過ぎた感があると評価しています。
筆者は史実の宋江に関しては、永遠の謎と見ています。
※参考
・宮崎市定『水滸伝 虚構の中の史実』(初出1972年 後に『宮崎市定全集〈12〉水滸伝』(岩波書店 1992年所収)
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