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[解説]水滸伝・宋江:あの英雄が迎えた壮絶な最期

2023年9月26日


 

水滸伝って何? 書類や本

 

水滸伝(すいこでん)』は(みん)(1368年~1644年)の時代に作られた小説です。中国では『三国志演義(さんごくしえんぎ)』に匹敵する人気を誇っております。

 

水滸伝の宋江

 

モチーフは北宋(ほくそう)(960年~1127年)末期の小規模な反乱です。

リーダーの宋江(そうこう)も実在しています。

 

宋江 水滸伝

 

今回は『水滸伝』のクライマックスである宋江の最期について解説致します。

「まさかのネタバレ回かよ!!そんな記事書いていいのか、晃?」

しかもですね、宋江は殺されるのです。

 

「もう言った!!いつも以上に容赦無いな」それじゃあ、始めます。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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盧俊義暗殺

高キュウ(高俅)

 

梁山泊(りょうざんぱく)解散後に宋江たちは各地に赴任したり、故郷に帰ったりしました。一方、朝廷では高俅(こうきゅう)童貫(どうかん)楊戩(ようせん)蔡京(さいけい)の4悪人は落ち着きません。

 

いつか、宋江たちがまた反乱を起こすのではと不安でした。そこで宋江たちを排除する計画を立てました。まず最初に白羽の矢が立ったのは、副首領の盧俊義(ろしゅんぎ)です。盧俊義は堂々とした風貌から玉麒麟(ぎょっきりん)と人々から呼ばれています。

 

高キュウ(高俅)

 

高俅たちは盧俊義を酒宴に招きました。提供した料理全てに水銀を入れていました。何も知らない盧俊義は、それをパクパクと食べてしまいます。帰る途中の船で盧俊義は急に体調が優れなくなります。

 

甲板に出て風に当たろうとしますが、ここでなんと足を滑らせました。盧俊義は泳ぐことも出来ずに、あっけなく命を落としました。

 

 

 

宋江暗殺

宋江(水滸伝)

 

盧俊義を始末した高俅たちの次の標的は宋江です。宋江には皇帝からの祝いの品という名目で酒を送りました。無論、それにも水銀が入っています。

何も知らない宋江は皇帝からの品なので迷いもせずに飲みました。

 

李逵(水滸伝)

 

ところが、しばらくすると体調が悪くなりました。そこでようやく、自分が毒を盛られたと悟ります。少し気がかりなのは、義弟の李逵(りき)です。李逵は自黒であることから、黒旋風(こくせんぷう)と呼ばれています。

 

李逵(水滸伝)

 

李逵は宋江の死を知ると必ず反乱を起こす可能性がありました。それだけは避けたかった宋江は李逵を呼びました。そして李逵にも自分と同じ酒を飲ませました。李逵が飲み終わった後に、宋江は全てを打ち明けます。

 

李逵(水滸伝)

 

だが、李逵は何も怒りません。喜んで宋江についていくことを誓いました。その後、2人は息を引き取ります。宋江の死を知った梁山泊の軍師の呉用(ごよう)花栄(かえい)は驚きました。

 

李広

 

呉用は知略に長けていることから智多星(ちたせい)、花栄は自分を前漢(前202年~後8年)の弓の達人の李広(りこう)と比較していることから小李広(しょうりこう)と呼ばれています。呉用と花栄は宋江のいない世界に未練は無いと結論をつけて、首つり自殺をして果てました。

 

 

処分無き悪人

徽宗は北宋の第8代皇帝

 

北宋第8代皇帝徽宗(きそう)は不思議な夢を見ました。夢の中に李逵が出てきて、なぜ自分や宋江を殺したのか怒っているのです。目覚めた徽宗は不審に思って宋江の死の真相を調べました。その結果、宋江が暗殺されたと分かりました。

 

激怒した徽宗は高俅たちを呼んで叱責しました。だが、高俅たちは上手に言い訳を述べて徽宗を言いくるめてしまいます。徽宗はそれ以上何も言えずに結局、高俅たちを処罰することは出来ませんでした。

 

こうして『水滸伝』は終わりを迎えます。

 

 

宋代史ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

今回はネタバレにはなりますが、宋江の最期について語りました。ちなみに、史実の宋江も北宋に投降した後の行方は分かっていません。

台湾の牟潤孫(ぼうじゅんそん)氏は、『水滸伝』の結末から史実の宋江も何かの悲劇的な最期を迎えたのではないのかと考えています。

 

しかし、宮崎市定(みやざきいちさだ)氏は、牟氏の見解に対して解決を急ぎ過ぎた感があると評価しています。

筆者は史実の宋江に関しては、永遠の謎と見ています。

 

※参考

・宮崎市定『水滸伝 虚構の中の史実』(初出1972年 後に『宮崎市定全集〈12〉水滸伝』(岩波書店 1992年所収)

 

▼こちらもどうぞ

宋江ってどんな人?水滸伝の主人公であり中途半端ヤ〇ザの微妙な最期

 

 

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晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
何か一言: なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

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