映画『レッドクリフ』ではトニー・レオンが演じる等、周瑜といえば「美形」というイメージがついています。
現代日本でいう「美形」のイメージと一致するかどうかとなると、なにせ古代中国の評判なので、実像はだいぶ違ったと思いますが、少なくとも当時の中国の基準で「容姿が立派だった」と何度も強調されている人物であったことは確か。
古代に呉の領土だった安徽省や江西省では、現代でも民間伝承の中で、「孫策と周瑜の二人の男前が云々」と、しばしばこのコンビがセットで語られ、大活躍することが多いようです。
孫策というと、どちらかといえば豪胆な武人、というイメージです。
その孫策とセットで語られる、ということは、周瑜の実像も草食系なイケメンではなく、体格の立派な「漢」系だったのではないか、と推測してしまいますが、それはともかく、周瑜の良いところは、容姿端麗であったというだけでなく、その生き様が、確かに「かっこいい」こと!
かつての親友だった孫策が早世した後の孫一族の命運を一手に引き受けるような鬼気迫る責任感ぶりは、まさに日本人好みなかっこよさと言えるのではないでしょうか!
今回は、民間伝承に登場する孫策とのコンビを軸に、呉の国の人気者、周瑜の「いきざま」を整理してみました!
この記事の目次
民間伝承では孫策との名コンビとして登場!
現代中国において出版された『三国志外伝』という本があります(日本語版は徳間書店から発行)。
これは、正史にも演義にも載っていないような、中国の庶民が口伝で継承してきた三国志英雄たちのエピソードを、中国各地を丹念にフィールドワークして集めてきた本となります。この本の「呉の章」において中心となっているのが、孫策・周瑜が主人公となっているエピソード。
たとえば二人は、こんなふうに出てきます。
・孫策と周瑜は毎日、家を一歩出れば顔をあわせ、一緒に遊んでいる仲だった
・やがて互いに生死を誓いあう青年どうしとなった
・二人は同い年で、孫策のほうが周瑜よりわずか二か月だけ上だった
・ともにきりりとした男前で押し出しも立派だった
二人は故郷の町で家庭教師をわざと困らせたり、それでいていざ学問をすれば神がかりな優秀さを発揮したりと、のびのびとした青春時代を送ります。
特にほのぼのと楽しい気持ちにさせられるのが、以下のエピソードです。
孫策と周瑜が住んでいた町で、ある日、とつぜんあらわれた二匹の巨大な雄羊が角をつきあわせて戦いを始めてしまい、町民の誰が引き離そうとしても無理だった。孫策と周瑜ならばなんとかしてくれるだろう、という話になった。
呼ばれて駆けつけた、青年時代の孫策と周瑜、戦っている二匹の雄羊を見るや、ちかくの桑の木に飛びつき、枝を折って戻ってきて、雄羊に桑の葉を食わせ、その餌で釣って誘導し、見事に二匹を引き離した。
「力づくであのバケモノ羊を引き離すこともできたが、それよりは平和的な調略で解決することにしたのだ」と後になってから説明した、孫策・周瑜。それを聞いていた町民たちはひたすら感心。実はその雄羊が戦っていた場所は、町の名家である「喬さん」のお屋敷。
バケモノ羊の喧嘩自体、喬さんのところの自慢の娘二人が、孫策・周瑜がお婿さんとしてふさわしい男性かどうか、テストをするために準備した仕掛けだったのです。
このテストに見事合格した孫策と周瑜は、喬さんのところの二人の美女をお嫁に迎えました。
この二人のお嫁さんというのが、大喬・小喬だったとさ。
赤壁の戦いの隠れた戦因?曹操が歌に大喬・小喬を詠んだことが、男周瑜を燃えさせた!
ここからは『三国志演義』の話となりますので、話はいささか誇張が混じっている可能性もあり要注意ですが、かの赤壁の戦いの前夜、孔明の誘導によって呉の方針は曹操軍への徹底抗戦にまとまりかけていたものの、いまだ周瑜は、「戦うべきか否か」の迷いを残しておりました。
そこに孔明が告げたのが、曹操が鄴に銅雀台を築いた際の詩の中に、「呉の大喬と小喬という二人の美女を囲いたい」という意味の句が入っている、というヒトコト。
先述したようなエピソードもあり、周瑜にとっての大喬・小喬といえば、既に早世していた孫策との大事な思い出にもかかわる大切な女性たち。
この孔明のヒトコトにたちまち燃え上がった周瑜の心は、打倒曹操で一気に固まり、以降、孔明をも上回る熱意で曹操軍撃退の秘策を練り上げるようになったのでした。
かっこいい!
まとめ:周瑜は孔明に騙されたわけではない?
このエピソード、孔明がうまく周瑜を騙して、曹操と戦うように仕向けたような書き方がされています。
でも孫策・周瑜のファンなら、違う見方をするのではないでしょうか。
周瑜の立場になってみれば、たとえ孔明の挑発だとわかっていたとしても、「曹操が詩の中で大喬・小喬のことを詠んでいるということが、巷の武将たちの間でウワサにでもなったら大変!男としてこれは引き下がれない!」と思ったのではないでしょうか?
むしろ孔明が大喬・小喬の話を出してくれたおかげで、「オレは自分のプライドと、亡き孫策への忠義から、この戦いに出向く、という筋書きができたのだ。立派な出陣の理由ができた!」と喜んだところもあるかもしれません。利害だけではなく男気のために命がけの戦いに出るのだ、ということが、周瑜の美意識にかなうモチベーションとなったのではないでしょうか?
・・・などとみるのは、ちょっと「呉びいき」にすぎますでしょうか。
三国志ライター YASHIROの独り言
ちなみにその周瑜、大喬・小喬の話に燃え上がるようなロマンチストというだけでなく、実際の歴史では「あの人がいなかったら呉の建国は無理だった」と孫権にしみじみと回顧されるほどの重要な功臣でした。
実績がしっかりと伴っていて、それでいて、いいところで早世してしまうかっこよさ!
いろんな意味で、いいとこどり。周瑜ファンはたくさんいると思われますが、今後もその数が減ることはなさそうですね。
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