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[特集]周瑜がかっこいい理由:青春時代の友情と恋の奮闘

2023年10月15日


周瑜

 

映画『レッドクリフ』ではトニー・レオンが演じる等、周瑜(しゅうゆ)といえば「美形」というイメージがついています。

 

周瑜の魅力

 

現代日本でいう「美形」のイメージと一致するかどうかとなると、なにせ古代中国の評判なので、実像はだいぶ違ったと思いますが、少なくとも当時の中国の基準で「容姿が立派だった」と何度も強調されている人物であったことは確か。

 

周瑜と孫策

 

古代に呉の領土だった安徽省(あんきしょう
)
江西省(こうせいしょう
)
では、現代でも民間伝承(みんかんでんしょう)の中で、「孫策(そんさく)周瑜(しゅうゆ)の二人の男前が云々」と、しばしばこのコンビがセットで語られ、大活躍することが多いようです。

 

呉の小覇王・孫策

 

孫策というと、どちらかといえば豪胆な武人、というイメージです。

 

その孫策とセットで語られる、ということは、周瑜の実像も草食系なイケメンではなく、体格の立派な「(おとこ)」系だったのではないか、と推測してしまいますが、それはともかく、周瑜の良いところは、容姿端麗であったというだけでなく、その生き様が、確かに「かっこいい」こと!

 

呉の勢力を率いる孫策

 

かつての親友だった孫策が早世した後の孫一族の命運を一手に引き受けるような鬼気迫る責任感ぶりは、まさに日本人好みなかっこよさと言えるのではないでしょうか!

 

今回は、民間伝承に登場する孫策とのコンビを軸に、呉の国の人気者、周瑜の「いきざま」を整理してみました!

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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民間伝承では孫策との名コンビとして登場!

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

現代中国において出版された『三国志外伝』という本があります(日本語版は徳間書店から発行)。

 

これは、正史にも演義にも載っていないような、中国の庶民が口伝で継承してきた三国志英雄たちのエピソードを、中国各地を丹念にフィールドワークして集めてきた本となります。この本の「呉の章」において中心となっているのが、孫策・周瑜が主人公となっているエピソード。

 

袁術と周瑜と孫策

 

たとえば二人は、こんなふうに出てきます。

 

・孫策と周瑜は毎日、家を一歩出れば顔をあわせ、一緒に遊んでいる仲だった

・やがて互いに生死を誓いあう青年どうしとなった

・二人は同い年で、孫策のほうが周瑜よりわずか二か月だけ上だった

・ともにきりりとした男前で押し出しも立派だった

 

周瑜

 

二人は故郷の町で家庭教師をわざと困らせたり、それでいていざ学問をすれば神がかりな優秀さを発揮したりと、のびのびとした青春時代を送ります。

特にほのぼのと楽しい気持ちにさせられるのが、以下のエピソードです。

 

孫策と周瑜が住んでいた町で、ある日、とつぜんあらわれた二匹の巨大な雄羊が角をつきあわせて戦いを始めてしまい、町民の誰が引き離そうとしても無理だった。孫策と周瑜ならばなんとかしてくれるだろう、という話になった。

 

呼ばれて駆けつけた、青年時代の孫策と周瑜、戦っている二匹の雄羊を見るや、ちかくの桑の木に飛びつき、枝を折って戻ってきて、雄羊に桑の葉を食わせ、その餌で釣って誘導し、見事に二匹を引き離した。

 

「力づくであのバケモノ羊を引き離すこともできたが、それよりは平和的な調略で解決することにしたのだ」と後になってから説明した、孫策・周瑜。それを聞いていた町民たちはひたすら感心。実はその雄羊が戦っていた場所は、町の名家である「喬さん」のお屋敷。

 

バケモノ羊の喧嘩自体、喬さんのところの自慢の娘二人が、孫策・周瑜がお婿さんとしてふさわしい男性かどうか、テストをするために準備した仕掛けだったのです。

 

このテストに見事合格した孫策と周瑜は、喬さんのところの二人の美女をお嫁に迎えました。

この二人のお嫁さんというのが、大喬・小喬だったとさ。

 

 

 

赤壁の戦いの隠れた戦因?曹操が歌に大喬・小喬を詠んだことが、男周瑜を燃えさせた!

周瑜と孔明

 

ここからは『三国志演義(さんごくしえんぎ)』の話となりますので、話はいささか誇張が混じっている可能性もあり要注意ですが、かの赤壁の戦いの前夜、孔明の誘導によって呉の方針は曹操軍への徹底抗戦にまとまりかけていたものの、いまだ周瑜は、「戦うべきか否か」の迷いを残しておりました。

 

城 銅雀台

 

そこに孔明が告げたのが、曹操が鄴に銅雀台(どうじゃくだい)を築いた際の詩の中に、「呉の大喬と小喬という二人の美女を囲いたい」という意味の句が入っている、というヒトコト。

 

大喬・小喬侍らし酒を飲みたい曹操

 

先述したようなエピソードもあり、周瑜にとっての大喬・小喬といえば、既に早世していた孫策との大事な思い出にもかかわる大切な女性たち。

 

周瑜

 

この孔明のヒトコトにたちまち燃え上がった周瑜の心は、打倒曹操で一気に固まり、以降、孔明をも上回る熱意で曹操軍撃退の秘策を練り上げるようになったのでした。

 

かっこいい!

 

 

まとめ:周瑜は孔明に騙されたわけではない?

挑発する諸葛亮孔明

 

このエピソード、孔明がうまく周瑜を騙して、曹操と戦うように仕向けたような書き方がされています。

でも孫策・周瑜のファンなら、違う見方をするのではないでしょうか。

 

孔明

 

周瑜の立場になってみれば、たとえ孔明の挑発だとわかっていたとしても、「曹操が詩の中で大喬・小喬のことを詠んでいるということが、巷の武将たちの間でウワサにでもなったら大変!男としてこれは引き下がれない!」と思ったのではないでしょうか?

 

大喬

 

むしろ孔明が大喬・小喬の話を出してくれたおかげで、「オレは自分のプライドと、亡き孫策への忠義から、この戦いに出向く、という筋書きができたのだ。立派な出陣の理由ができた!」と喜んだところもあるかもしれません。利害だけではなく男気のために命がけの戦いに出るのだ、ということが、周瑜の美意識にかなうモチベーションとなったのではないでしょうか?

 

孫呉(孫権・黄蓋・陸孫・周瑜・周泰) 

 

・・・などとみるのは、ちょっと「呉びいき」にすぎますでしょうか。

 

 

三国志ライター YASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

ちなみにその周瑜、大喬・小喬の話に燃え上がるようなロマンチストというだけでなく、実際の歴史では「あの人がいなかったら呉の建国は無理だった」と孫権にしみじみと回顧されるほどの重要な功臣でした。

 

周瑜はナルシスト

 

実績がしっかりと伴っていて、それでいて、いいところで早世してしまうかっこよさ!

いろんな意味で、いいとこどり。周瑜ファンはたくさんいると思われますが、今後もその数が減ることはなさそうですね。

 

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YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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