『水滸伝』は明(1368年~1644年)の時代に作られた小説です。中国では『三国志演義』に匹敵する人気を誇っております。
モチーフは北宋(960年~1127年)末期の小規模な反乱です。
リーダーの宋江も実在しています。この『水滸伝』には悪人が登場します。
有名なのは高俅・童貫・楊戩・蔡京の4人です。
この4人は非常に有名であり、『水滸伝』の〝四姦〟と呼ばれています。
そこで今回は高俅・童貫・楊戩・蔡京を紹介します。
この記事の目次
高俅
高俅は四姦で最初に登場します。
特技は蹴鞠・・・・・・現在のサッカーとバレーを組み合わせた遊びです。
物語の中心的な悪党であり108星の林冲や楊志は彼のせいで罪に落とされます。
『水滸伝』ではヤ〇ザ出身という設定になっていますが、これは嘘ではないようです。
史料にも彼がヤ〇ザと繋がりがあったことが記されています。ただし、特技が蹴鞠だったのかは不明です。
ちなみに、高俅は4人の中で最も史料が少ない人物です。
そのため、実際の彼がどれくらいの悪党だったのかは分からないのです。
行っていた悪行も分かっているだけで金銭着服をして、それを私用に使った程度らしいです。
童貫と蔡京
童貫は宦官です。
宦官は男性器を切り落として後宮に仕える役職です。男性器を切り落としたら髭が生えなくなるのが特徴ですが、童貫は髭が生えていたようです。
また、軍事に精通していたので軍を率いて戦うこともしていました。
特殊な宦官なのかと思うかもしれませんがそんな事はありません。
宋には童貫以外にも軍を率いる宦官はいたので、大して珍しいことではないのです。
さて、この童貫は後述する蔡京が地方官だった時に知り合った人物です。
趣味が蔡京と一緒で書画・骨董収集だったのですぐに意気投合しました。
都に戻った蔡京は童貫と一緒に、北宋第8代皇帝徽宗に媚びを売りました。徽宗の趣味も書画・骨董収集なので2人は、トントン拍子に出世しました。
当時の人々は蔡京を〝翁宰相〟、童貫を〝媼宰相〟と呼びました。ところが、権力を握った2人もやがて終わりがきます。
北方の遼(916年~1125年)が衰退したので、北宋は新興勢力の金(1115年~1234年)と同盟を結びました。
同盟の結果、長年の宿敵だった遼を滅ぼすことに成功します。ところが、金との約束になっていた金銭の話になると北宋は態度が変わりました。
怒った金は北宋に攻撃を仕掛けて都を包囲しました。
徽宗は謝罪して引退する決意を固めました。
次に責任者の処分です。
蔡京は80歳以上の高齢なので流刑にしましたが護送中に亡くなりました。
童貫は死刑になりました。最期は首が太くて斬りにくかったようです。
楊戩
楊戩も宦官です。4人の中では影が薄い人です。
しかし極悪レベルは、高俅より上です。
楊戩は副業として不動産経営を行っていたようです。
これがとんでもない商売であり、所有権のはっきりしない曖昧な土地はすぐに政府のものとして没収していたようです。
面白いことに楊戩は梁山泊近くの湖水にも税金をかけました。
魚・藻・岩・・・・・・とにかく手当たり次第です。
しかし、実際はそんなものから税金はとれません。なので、船を登録している漁師からとっていました。
ここまで行った悪党なので当然、最期は死刑と読者の皆さんは思うはずです。
ですが、世の中はそんなに甘くありません。楊戩は宣和3年(1121年)に病死しています。
こんな悪人ほど普通に死ぬものです。
宋代史ライター 晃の独り言
今回は『水滸伝』の悪人たちについて解説しました。
この4人以外にも悪人はたくさんいるのですが、他のキャラクターについてはまた別の機会に紹介します。
※参考
・宮崎市定『水滸伝 虚構の中の史実』(初出1972年 後に『宮崎市定全集12 水滸伝』(岩波書店 1992年所収)
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