三国志での海戦と言えば、真っ先に名前が出るのが赤壁の戦いですね。厳密には、赤壁は長江の付近なので水戦が正しいのですが、それはおいておいて、曹操を赤壁で破った水軍提督の周瑜は有名です。しかし、夢を壊すようですが、三国志の時代の水軍は現在のように専門職になっておらず、陸軍の補助でしかありませんでした。
大砲もミサイルもない古代の水軍は脅威ではない
どうして、三国志の時代の水軍が重要ではないのか?それは当時の水軍が木造船であり、大砲のような長距離の武器もなく陸上の部隊に対して、大きな脅威ではないからです。現在の軍艦は射程数十キロの大砲やミサイルを装備し、遥かな海上から地上軍を一方的に攻撃できますが、三国志の時代の軍船はできません。
水軍は陸軍の補助に過ぎない
当時の船の役割は、兵士や物資を乗せて水上を渡る事で、戦闘力はあまり期待されていないのです。また、中国は大陸国で海の上での戦いはほとんどありません。西洋のような港湾を攻める戦いでは海軍同士の衝突もありましたが、中国の場合には、海よりははるかに狭い水上の戦いなので水上戦術というのは、あまり発展しなかったのです。
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