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[卑弥呼VS狗奴国]その強大さとは?卑弥呼を苦しめた真相

2023年10月28日


狗奴国は邪馬台国と対立

 

前回までのお話で、狗奴国(くなこく)は東海地域にあった可能性が出てきましたね。

さらに、その勢力は強大であった可能性もあるのですよね。どのくらいの勢力だったのでしょうか?深く探っていきましょう!

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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熊野~伊勢~熱田~東海道・中山道

 

狗奴国、つまりスサノオの領土と予想される地域を思い浮かべてみましょう。

 

例えば、

 

熊野から伊勢へと抜ける道として、熊野古道と伊勢路があります。

 

伊勢あたりからは東海地域と言ってよいでしょうから、狗奴国(スサノオ)の領域だったと言えるでしょうが、伊勢から熊野への道が通じているのなら、熊野勢力と伊勢勢力は、何らかの繋がりがあったとみられると思えてきます。

 

熊野地域は、元々、大和地域の勢力とは別の勢力がいたと言いますし。熊野勢力が狗奴国と同調していた可能性は十分にあるでしょうか。

 

そして、伊勢を抜け、濃尾平野に向かうと、熱田があり、ここは狗奴国の根拠地だったでしょうか。そこから東海道を東へ辿ると三河、遠江、駿河に至ります。中山道を東へ辿ると、信州へと至ります。

 

邪馬台国VS狗奴国

 

さらに、前からお話しているように、狗奴国は、海を通して、中国大陸の「呉」と繋がっていたという説もあるくらいです。()()の代理戦争としての要素が、邪馬台国(やまたいこく)VS狗奴国の戦いには、あったかもしれないという訳です。

 

そうなると、狗奴国は強大な勢力だった可能性があるのですね。次に、その根拠となる事実を示して参りましょう。

 

 

スサノオとオオクニヌシの影響力

アマテラスVSスサノオ(古事記)

 

以前から、何度か示しているのは、出雲王国の東限が、信濃だったかもしれないという説です。すると、出雲王国(いずもおうこく)の東半分を狗奴国が受け継いだということは考えられるのではないでしょうか。

 

その説をより説得力のあるものにするために、調べてみたところ、以下のようなことが分かりました。

ご紹介しましょう。

 

 

東海から信州(信濃)に広がる土着信仰として、

 

天白信仰(てんぱくしんこう
)
」というものがあります。

 

現在では、愛知県名古屋市に天白区という地名が誕生したくらいです。この天白信仰は、以前の通説では、信州の諏訪を中心に広がっている印象だったというのです。それは諏訪神社へと繋がるというのです。

 

それで、諏訪を起源とする信仰なのかと言われていました。しかし、実質は、逆で、東海から東へと移っていった文化なのでは、言われ始めています。

 

伊勢など東海が起源となると見られてきているようです。すると、東海=スサノオの治める狗奴国か?

とも思えてきますね。

 

 

また、次のことも、有力な根拠となり得るでしょうか。「天白」とは、治水・農耕の神と言われているとのことです。

 

天の字は、荒れ狂う川の一本の流れをせき止め、緩やかに、分散させ、水路を通し、水田へ導くという意味合いがあるらしいのです。これは、水害という名のヤマタノオロチを倒し、治水工事を完成させたとして、英雄として崇められるスサノオの功績そのものではないでしょうか?

 

天白は、スサノオを神とするとの言い伝えは頷けるのです。

 

真田丸 武田信玄

 

(寄り道すると、治水工事の英雄として浮かぶのは、戦国武将の武田信玄(たけだしんげん)が思い浮かびますね。治水工事で庶民の生活を安定させ、強力な武士軍団、騎馬軍団により、勢力を拡張したのです。まるで出雲王国のスサノオのようではないですか?)

 

ですから、天白信仰や諏訪信仰が盛んな地域は、スサノオの影響力のあった狗奴国だったと言えるか、ということなのです。

 

 

諏訪はオオクニヌシの次男が住んでいた!

 

諏訪と言えば、さらに思い浮かぶのは、天孫降臨の際、アマテラス(卑弥呼)軍に抵抗した、出雲・オオクニヌシの次男、タケミナカタ(建御名方神)は、諏訪に引きこもったとされるています。

 

しかし、内実は、謹慎処分だったのではないでしょうか?

 

オオクニヌシは出雲へ謹慎させられ、

タケミナカタは、諏訪(すわ)へ謹慎させられた、と見るべきかもしれません。

 

すると、スサノオも謹慎させられたか?と思えてくるのです。

どこに?

伊勢か?熱田か?ということになります。

そして、スサノオのみが決起した!

と考えられないだろうか?

 

それに呼応する勢力もたくさんいたのです!それが狗奴国連合のようなものだったかもしれません。このあたりは、何となく、源平合戦の時代を思い起こさせます。平清盛(たいら の きよもり
)
に一度は東へ追放された、源頼朝(みなもと の よりとも
)
が決起する姿が思い浮かぶのです。

 

つまり、出雲王国は、一度は、邪馬台国連合によって全て飲み込まれたのです。(190年代に出雲王国崩壊したということです。)

しかし、しばらくして、220年頃にスサノオが狗奴国を立ち上げ決起した!とも想像されるでしょうか。

 

つまり、狗奴国は、出雲王国の残党勢力と言えるでしょうか?

 

 

 

狗奴国の勢力のまとめ

コーノヒロさん(はじめての三国志ライター)

 

それでは、その狗奴国とスサノオは、邪馬台国との壮絶な戦の後、どうなったのでしょうか?

次回に考察していく予定です。お楽しみに。

 

【参考資料】

 

◆天白紀行 増補改訂版 (日本の古層1)

◆神殺し・縄文 (人間社文庫―日本の古層)

◆出雲と大和――古代国家の原像をたずねて (岩波新書)

◆新書821伊勢と出雲 (平凡社新書)

◆新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝―中国正史日本伝〈1〉 (岩波文庫)

 

 

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コーノ・ヒロ

コーノ・ヒロ

歴史好きのライターです。 福祉関係の仕事をしつつ、物書きの仕事も色々としています。 小説や詩なども、ときどき書いています。 よろしくお願いします。 好きな歴史人物 墨子、孫子、達磨、千利休、良寛、正岡子規、 モーツァルト、ドストエフスキー など 何か一言 歴史は、不動の物でなく、 時代の潮流に流される物であると思っています。 それと共に、多くの物語が生まれ、楽しませてくれます。

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