[戦国旅行]明智光秀の墓を訪れてみよう!2箇所のアクセス方法

2023年11月5日


 

明智光秀が剣を持って戦っているシーン

 

2020年の大河ドラマは長谷川博巳(はせがわ ひろき)主演の『麒麟がくる』で、主人公は明智光秀(あけちみつひで)です。明智光秀といえば本能寺の変で織田信長(おだのぶなが)を裏切ったということで悪い評価となっています。大河ドラマを通して、明智光秀に関する研究が進展することが期待されています。今回は大河ドラマの放送に合わせて光秀の墓が注目されると考えられます。今回は明智光秀の墓を2箇所紹介します。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



明智光秀とは?

明智光秀は鉄砲の名人 麒麟がくる

 

明智光秀は1528年に美濃国(みののくに
)
牢人(ろうにん)として生まれました。その後、斎藤道三(さいとうどうさん)の家臣となりますが、斉藤道三が暗殺されると足利義輝(あしかが よしてる)の家臣となりました。足利義輝が暗殺されると朝倉義景の家臣となり、全国を逃げ回っていた15代将軍足利義昭を支えていました。

 

織田信長に上洛を促したのが、明智光秀と織田信長の最初の出会いであるといわれています。以降、明智光秀は足利義昭と織田信長の家臣となりました。明智光秀といえば滋賀県大津市坂本の人として有名となっていますが、比叡山延暦寺の焼き討ちの後に信長から坂本城を築城するように命令されました。この命令がきっかけで坂本城ができました。

 

明智光秀は延暦寺と琵琶湖の監視を任されました。坂本城を拠点に丹波国平定を進めました。丹波国平定後、亀山(現在の亀岡)城と福知山城の城主となりましたが、娘婿の明智秀満に城代として任せていました。1582年に本能寺の変を起こし、織田信長を自害に追い込みました。その後の山崎の戦いで、豊臣秀吉の軍に負け、坂本城に逃げる途中で農民に殺害されました。

 

 

 

明智光秀の墓はどこにある?

 

明智光秀の墓は2箇所あります。1箇所目は滋賀県大津市坂本にある西教寺です。西教寺は聖徳太子が建立したと伝えられていますが、しばらく荒れていました。鎌倉時代と室町時代に再興されました。

 

1571年の比叡山延暦寺の焼き討ちで西教寺は被災しました。明智光秀は坂本城の城主と成り、光秀は西教寺の復興に力を入れました。総門は坂本城の城門を移築したものです。光秀の墓は正室ら一族の墓とともに祀られていて、石碑もあります。

 

アクセスはJR湖西線の比叡山坂本駅、京阪坂本比叡山口から江若バスで西教寺下車が便利です。徒歩の場合、それぞれの最寄りの駅から30分程度かかります。

 

次に、2箇所目は高野山にあります。真言宗の開祖空海が高野山に金剛峯寺を開きました。以降、貴族や武士を中心に高野詣をするようになりました。高野山の奥の院の参道に著名な戦国武将の墓があることで有名です。戦国武将の墓の中には、生前川中島で敵対していた武田信玄と上杉謙信、織田信長と明智光秀の墓が同じ場所にあります。全国の戦国大名の墓が集中しているので歴史ファンの間で有名になっています。

 

高野山金剛峯寺へのアクセスについては、南海高野線の極楽橋で下車し、ケーブルカーの乗り換えると高野山に行くことができます。

 

 

 

戦国時代ライターオフィス樋口の独り言

三国志ライター オフィス樋口

 

今回は明智光秀の墓について取り上げました。この記事を通して、明智光秀の墓が2箇所あることが分かりました。最初に取り上げた西教寺については、光秀が坂本に根付いていたことが分かります。

 

徳川家康をボコボコにする武田信玄

 

2箇所目に取り上げた高野山金剛峯寺については、明智光秀だけでなく様々な戦国武将の墓があります。生前敵対していた武田信玄(たけだしんげん)上杉謙信(うえすぎけんしん)の墓が同じ場所にあることから何か根拠があるかもしれません。今後、高野山の信仰と戦国武将との関係に注目したいと思います。

 

明智光秀の高野山の墓については何度修復しても自然にヒビが入ります。原因が分からない不思議な現象となっています。織田信長の呪いなど様々な都市伝説も伝えられています。大河ドラマを通して、明智光秀の墓についてヒビ割れの原因について注目されるかもしれません。今後の研究に注目したいと思います。

 

 

▼こちらもどうぞ

明智光秀と服部半蔵は同一人物だった?伊賀を越えた光秀に迫る

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
オフィス樋口

オフィス樋口

自己紹介:フリーランスで予備校の講師をしています。 歴史が好きで、予備校では主に日本史を指導しています。 センター試験の点数を40点台から80点台に伸ばした実績があります。 好きな歴史人物:徳川慶喜(理由:多趣味であることが共通しているから)

-外部配信
-