霹靂車とは何?官渡の戦いて大活躍した三国志[最強兵器]の登場までを紹介

2023年11月9日


三国志の武器 霹靂車 曹操

 

三国志演義に登場する霹靂車は石などを投げつける攻城兵器の1つです。霹靂とは雷の事ですが、史実には全く登場しない名前で実際は発石車のことを言っています。三国志で霹靂車が使用された有名な戦いは、曹操と袁紹が戦った官渡の戦いです。そこで今回は正史『三国志』をもとに、官渡の戦いで曹操が霹靂車を使用する過程を解説します。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



官渡の前哨戦で顔良と文醜を失う袁紹

顔良と文醜

 

建安5年(200年)曹操と袁紹は天下分け目の決戦を行いました。有名な「官渡の戦い」です。まず袁紹は白馬に駐屯している曹操軍の劉延を顔良郭図・淳于瓊に攻撃させました。顔良は袁紹軍の腕の立つ将軍です。しかし彼は曹操軍の客将となっていた関羽により討たれてしまいます。顔良が討たれた後、続いて文醜が出陣しました。彼も顔良と肩を並べるほどの猛者でした。だが、彼も曹操軍により瞬殺!初戦で顔良・文醜という主力を失った袁紹は途方にくれます。仕方ないので直接対決しかありません。袁紹は曹操と官渡で対峙しました。この官渡城、実は城ではなく砦です。曹操がここを決戦場と定めて突貫工事で土を固めて強固な砦を築いたのです。曹操軍には優秀な土木技術者がついていたんですね。

 

 

官渡城を少しずつ大軍で包囲する袁紹

袁紹と曹操

 

官渡城に対し袁紹がとった作戦は、大軍で少しずつ近付いて城を包囲することでした。なぜこんな作戦をとったのでしょうか?それは曹操軍の質にあると筆者は考えています。曹操は兵の数が少ない分、速攻戦には強いです。ただし、持久戦になると非常に弱いところがあります。かつて呂布と濮陽で1年余り戦った時に、イナゴの大量発生による兵糧不足で撤退したことがあります。袁紹は曹操軍のこういった弱点を熟知していたので、ジリジリと少しずつ攻めていく作戦に出たのでしょう。近付いてきた袁紹軍に対して曹操軍は戦うも惨敗。1万の兵士のうち2、3千を失いました。袁紹の読みは見事に的中したのです。

 

 

袁紹軍は物見櫓を開発

三国志の武器 井蘭車 始皇帝

 

さらに袁紹は、官渡の城壁の高さを超える物見やぐらを完成させます。これで城内の曹操軍の動向がバッチリ見渡せます。しかもそれだけではありません。袁紹軍は物見櫓から曹操軍に一斉に矢を放ちました。次々と矢が雨のように降ってくるので曹操軍は大混乱します。!袁紹は、同時に地下道を掘って官渡城の内側に侵入経路を確保しようとします。袁紹は、公孫瓚の籠城する易京も土木工事で城壁を全て破壊して攻略していますから、もはや袁紹のゴリ押しプレイかと思いきや…曹操は、すぐに城内から地下道を掘って反撃に出ました。そして、地中の柱を切って袁紹サイドの地下道を崩壊させます。

 

 

曹操が霹靂車を作成し流れが変わる

曹操にコテンパにされる袁紹

 

袁紹軍が放ってくる矢に兵士は恐怖しましたが、これには楯を持って対抗しました。しかしそれでも、索敵と攻撃の元である物見やぐらは、どうにかしないといけません。そこで曹操が開発したのが「霹靂車」でした。曹操軍は早速、石をセットすると袁紹軍の物見やぐら目掛けて発射!木製の物見やぐらは次々と破壊されていき全滅しました。

 

許攸に叛かれ烏巣を焼かれた袁紹は撤退

袁紹を裏切り兵糧庫の場所を曹操に教える許攸

 

有利だった袁紹軍は急に不利な状況に陥ります。今度は汝南の黄巾軍の残党である劉辟と手を組み曹操の背後を突く作戦を考えますが、曹操軍から派遣された曹仁に敗れて壊滅します。挙句の果てに許攸が袁紹軍から逃亡して曹操に降伏。烏巣の兵糧庫のことを教えてしまいます。曹操は烏巣を襲撃して兵糧を全て焼いてしまいました。戦線を維持できなくなった袁紹は、官渡から撤退を決意します。ここに曹操と袁紹の天下分け目の戦いである官渡の戦いは終わります。

 

正史に攻城兵器が出る事は少ない

三国志の武器 雲梯車 劉備

 

正史三国志で、攻城兵器が出てくる戦いはあまり多くありません。官渡を除くと、北伐の時に諸葛孔明が陳倉城を攻めた時くらいです。陳倉で孔明は、雲梯や衝車を用い、次に袁紹同様、物見やぐらを使って城中に上から矢を射掛けさせていますが、守将の郝昭は盾で防いで籠城戦に勝利しています。

 

▼こちらもどうぞ

[名筆語る戦勝]荀彧の手紙、官渡の戦いを決した秘密兵器!?

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-外部配信