よかミカンの三国志入門
潼関の戦い特集




はじめての三国志

menu

はじめての漢

郭図(かくと)とはどんな人?出ると負け軍師・袁家滅亡の戦犯

この記事の所要時間: 512




 

 

郭図(かくと)の立ち位置は、三国志ファンの間では極めて悪いです。

一般には、出ると負け軍師と呼ばれ、戦争の手柄は皆無、

その癖、讒言は上手で、沮授(そじゅ)審配(しんぱい)を陥れて、

後の内紛の種を撒きました。

しかし、そんな郭図の経歴は知名度の低さで余り知られていませんので、

はじ三で、紹介してみたいと思います。

 

はじめての三国志全記事一覧はこちら

関連記事:袁紹の評価が残念な6つの理由

 




輝かしき郭図 朝廷を輝かせる

 

郭図は字を公則(こうそく)といい、荀彧(じゅんいく)郭嘉(かくか)と同じ

豫洲潁川(よしゅうえいせん)郡の出身です。

 

元々は潁川郡の計吏でしたが、太守の陰脩(いんしゅう)により朝廷に推挙されました。

そのメンバーは荀彧荀攸(じゅんゆう)鍾繇(しょうよう)という錚々たる面々。

彼らは、いずれも粒そろいで当時の朝廷を輝かせたそうです。

 

フレッシュさの欠片もなく、どこかヤニ臭い郭図にも、

そんな初々しい時期があったのですねェ・・

その後、郭図は、同郡の荀諶(じゅんじん)、辛評(しんぴょう)らと共に

袁紹(えんしょう)に仕えます。

ここから、郭図の袁紹軍の軍師としての活躍が始まります。




韓馥を説得し 袁紹に冀州を取らせる

 

袁紹は当初、渤海太守で兵糧も満足になく、常に補給に苦しんでいました。

これでは仮想敵である公孫瓚(こうそんさん)との闘いなど満足に行えません。

そこで郭図は、荀諶、張導(ちょうどう)、高幹(こうかん)と共に、

三国志で最も気が弱い群雄、韓馥(かんふく)を説得し、

冀州牧の地位を譲らせる事に成功します。

 

これにより袁紹は豊かな冀州を手に入れて、補給の悩みから解消され、

公孫瓚相手の戦いも優位に立つ事が出来ました。

大手柄ですが連名なので、郭図がどの程度貢献したかは分かりません。

 

三国志の武将に特化したデータベース「はじめての三国志メモリーズ」を開始しました

 

献帝受け入れに反対し曹操に遅れを取る

 

195年、献帝(けんてい)が長安を脱出して洛陽に入ると、

沮授(そじゅ)はすぐに迎えを出して

これを受け入れて天下に号令をかけるべきと主張します。

しかし、この時、郭図は淳于瓊(じゅんうけい)と共に郭図に反対しました。

袁紹は沮授の顔を立てる形で、反対派の郭図を洛陽に派遣します。

ところが戻ってきた郭図は一転して、献帝受け入れを進言しました。

もしかすると、曹操(そうそう)が動き出した事で、献帝の確保を急務と

考えたかも知れません。

 

が、、元々、袁紹は、董卓が擁立した献帝を認めておらず、

かつては劉虞(りゅうぐ)を担ごうとした経緯もあり、進言を容れませんでした。

結果、献帝は曹操の手に落ち、袁紹は激しく後悔する事になります。

 

沮授を讒言し軍権の一部を担う

 

袁紹が公孫瓚を片付けると、いよいよ曹操との激突は避けられなくなります。

当時、袁紹軍内では、田豊(でんぽう)沮授が主張する持久戦と

郭図と審配が主張する短期決戦が対立していましたが、袁紹は短期決戦を採用します。

200年に官渡の戦いが起きると、袁紹と対立して投獄された田豊に代わり、

沮授が監軍として、全軍を指揮する権限がありました。

 

これに対して郭図は

 

「一人の人間に軍権を集中させるのは危ないので、分割させるべきです。

そう、例えば、私とか淳于瓊とか」と讒言します。

 

袁紹は、これを採用し、沮授の軍権を、郭図、淳于瓊に分割して三都督としました。

勢いづいた郭図は、顔良(がんりょう)と淳于瓊と共に、

白馬城に籠る劉延(りゅうえん)を攻撃します。

 

しかし戦いは曹操軍の荀攸の計略に顔良が引っ掛かり大敗します。

この時、沮授は顔良が単細胞で作戦に向かないと袁紹に反対したのが却下され、

抗議の為に病気と称して渡河を拒否しました。

戦いに敗れて怒った袁紹は、沮授の兵力を取り上げ郭図に与えています。

戦争には負けましたが、郭図、焼け太りしました。

 

烏巣救援の判断で致命的なミス

 

前哨戦である白馬・延津の戦いに敗北したものの、

袁紹は豊富な物量で、曹操軍の前線である官渡城を包囲しました。

兵糧攻めに追い込まれた曹操はグロッキー寸前になりますが、

ここで、袁紹に重く使われない事に不満を持った許攸(きょゆう)が曹操に投降

袁紹軍の生命線である食糧集積地である烏巣の情報を漏らします。

曹操は、即座に5000騎を率いて烏巣を襲撃しました。

 

情報が袁紹の本陣にもたらされると、大騒動になります。

武将の張郃(ちょうこう)

「直ぐに軽騎兵を差し向けて烏巣の淳于瓊を援護すべし」と主張

しかし郭図は逆に

「今からでは間に合わないので、曹操が抜けて手薄になった

官渡城を攻めれば、曹操は慌てて戻るだろう」と主張します。

 

張郃はさらに「官渡の防備は厚く、簡単には落ちない」と主張し

郭図の見通しの甘さを批判しますが、頭がウニになった袁紹は、

烏巣に軽騎兵を派遣し、官渡にも重装歩兵を派遣するという

足して二で割る作戦を採用します。

 

 

しかも、官渡に向かった重装歩兵を任されたのは、張郃でした。

そして、やはり官渡の防備は堅くて容易には落ちません。

やがて、烏巣が落ちた事を知った張郃は計略が採用されなかった事で

馬鹿馬鹿しくなり、曹操に降伏したと魏書荀攸伝には記載されています。

 

一方で、魏書の張郃伝では、張郃が曹操に走ったのは、

郭図が責任追及を恐れて、全ての責任を張郃になすりつけ、

恐れた張郃が止む無く降ったとされています。

 

 

官渡の敗戦を契機に審配、逢紀と対立 お家騒動に

 

官渡の敗戦の時、軍監だった審配の家族が曹操に捕えられる事件が起きます。

郭図、孟岱(もうたい)、蒋奇(しょうき)、辛評は審配の勢力が強大で、

曹操に寝返られては困ると主張し袁紹は、その意見を入れて

審配から軍権を取り上げて、孟岱に与えます。

 

審配は逢紀(ほうき)の尽力でその後、復活しますが、一連の経緯から

郭図と辛評を激しく恨むようになります。

202年、病気がちな袁紹は、敗戦のショックもあり血を吐いて倒れ死亡。

ですが、悪いことに、彼は後継者を決定していませんでした。

 

ここで、郭図と辛評は、袁紹の長子で青州刺史の袁譚(えんたん)を支持、

これに対して、二人を恨んでいる審配と逢紀は末子の袁尚(えんしょう)を擁立しました。

かくして、感情的な対立から始まった郭図・辛評と審配・逢紀の対立は、

袁家を二分するお家騒動へと発展していきました。

 

郭図、袁尚を先制攻撃、曹操に敗れて袁譚と共に処刑される

 

203年、郭図と辛評は袁譚に対して、

「あなたが後継者になれなかったのは、審配が裏で糸を引いたからです」

と讒言し、袁尚への先制攻撃を示唆、ここで袁譚袁尚は激突しますが、

袁譚は敗れて平原に追い詰められます。

 

ここで、郭図はなんと、袁紹の仇敵である曹操を頼ろうとします。

「曹操と同盟し、共に袁尚を攻撃し、袁尚が滅んだら、その残党を吸収し、

冀州の諸勢力を併合して曹操と対峙して破る」というのです。

 

あまりのことに、袁譚は一度は拒否しますが、結局受け入れます。

こうして、辛毗(しんぴ)を使者として送ると、曹操は鴨ネギ展開に大喜びし

同盟を受け入れ、袁尚討伐に全力を傾注します。

 

こうして204年、袁尚の本拠地、鄴が陥落し審配は捕まり処刑され

袁尚は兄の袁煕(えんき)と共に烏桓族を頼って北方へ落ちていきました。

 

その間に、郭図は進言通りに冀州の諸勢力と袁尚の残党を吸収していましたが

すでに袁尚が滅んだ今、それは何の意味もなしませんでした。

曹操は、袁譚の盟約違反を口実に、これを攻めて破り、

郭図は205年に南皮で主君である袁譚と共に処刑されました。

 

 

三国志ライターkawausoの独り言

 

郭図は自信家で、群れずにいられる個人主義者だったのでしょう。

沮授から軍権を奪った時も、讒言感覚はなく、

本当に軍権は分かつべきと考え、俺は出来ると思っていたのでしょうし

烏巣でも、官渡城さえ攻めれば曹操は引き返すと思ったのでしょう。

後継者問題で、曹操と組んだ時にも、袁尚と戦っている間に、

力を蓄えれば、きっと曹操に勝てる・・と思ったかも知れません。

しかし、いずれも、読みが甘く、全ては裏目に出ました。

「出ると負け軍師」の悪名は、この郭図の見通しの甘さに、

大きな問題があったといえるでしょう。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:董卓の毒牙から袁紹を陰ながら助けた名士達に痺れる!

関連記事:顔良と文醜の裏話、顔良って実はいい奴?

 

■古代中国の暮らしぶりがよくわかる■

 




 

kawauso

kawauso

投稿者の記事一覧

三度の飯の次位に歴史が大好き

10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、

好きな歴史人物:

西郷隆盛、勝海舟、劉邦、韓信、、etc

何か一言:

歴史は現在進行形、常に最新のジャンルです。

関連記事

  1. 超短気な三国志の人物を集めてみました、あなたの友達とどっちが上?…
  2. 【はじビアの泉】現在の漢詩は曹操が造った?文化人曹操の功積
  3. 84話:龐統登場と同時に左遷(笑)
  4. 張邈(ちょうばく)とはどんな人?親友の曹操を裏切って反旗を翻した…
  5. 闕宣(けっせん)とはどんな人?勢力は小さくても強かった自称皇帝闕…
  6. 【李傕・郭汜祭り 1日目】凶悪!董卓を上回る暴君李傕の履歴書
  7. お由羅騒動とは何?かんたんに分かりやすく解説
  8. 【はじめての君主論】第2話:愛されるより恐れられよ!董卓の恐怖政…

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 125話:何で孔明や姜維の北伐は街亭や祁山にこだわったの?
  2. 審配(しんぱい)とはどんな人?衰えていく袁家を支えた忠臣
  3. 李広(りこう)とはどんな人?「飛将軍」と呼ばれた男は李信の子孫であった!?
  4. 孫権のツンデレ外交に蜀の天才外交官・鄧芝の能力炸裂!蜀呉同盟を復活させたお話
  5. 荀彧がもらった空箱には一体どんな意味があったのか!?
  6. みにおん三国志とはどんなアプリゲーム?

三國志雑学

“はじめての三国志150万PV" はじめての三国志コミュニティ総合トピック
“広告募集"

はじめての三国志 書籍情報


著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

  1. 船冒険する諸葛直 船
  2. 異議ありと叫ぶ司馬懿

おすすめ記事

【江陵攻防戦】名将・曹仁が見せた粘り腰が周瑜に致命的な一撃を加える 曹丕(そうひ)得意の詩で蜀の調理法を斬る 三国志演義が今どき嫌われる理由 始皇帝はどんな人?不老不死を求めた中国史上初の皇帝の人生を解説 もうひとつの宗教団体、五斗米道(ごとべいどう)ってどんな宗教だったの? まだまだあるよ!諸子百家シリーズ 陰陽家・農家・小説家 【シミルボン】1800年前の三国志時代はご馳走が現代居酒屋風だった 【映画・関ヶ原を100倍楽しめる】司馬遼太郎の歴史小説「関ヶ原」の魅力をたっぷりご紹介

おすすめ記事

  1. 【劉備の初代軍師・徐庶】剣術家から学問の道へ変更したきっかけとは?
  2. 【三国志if】もしも劉備が諸葛亮孔明にフラれていたら!?
  3. 朝まで三国志2017 三国志の最強軍師は誰だ! 第17部
  4. kawauso編集長のぼやきVol.1「情報受け身社会」
  5. 五虎大将軍 趙雲の死因は何だったの?三国志一の美男子の最期
  6. 【8月の見どころ】8/27公開予定:本当は嫌なヤツだったかも知れない五丈原の費禕に迫る
  7. 成り上がり?ネズミが李斯の運命を変えた!
  8. 【センゴク】想定外!織田信長を討った明智光秀の誤算ってなに? 明智光秀 wikipedia

はじさん企画

袁術祭り
李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
まだ漢王朝で消耗してるの?
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
編集長日記
はじめての三国志TV
“曹操孟徳" “黄巾賊" “赤壁の戦い" “THE一騎打ち" “夷陵の戦い" “kawausoのぼやき記事" “よかミカンのブラック三国志"
“水滸伝"

“三国志人物事典"

PAGE TOP