西暦234年8月、遠征中だった蜀の丞相・諸葛亮は陣中で病に伏せります。三国志演義では、諸葛亮が天文をみて自分の寿命が残りわずかであると察して嘆いた時に、武将の姜維が諸葛亮に延命祈祷を行うことを勧め、諸葛亮はいそいそと祈祷にとりかかっています。
祈祷は諸葛亮が自ら七日のあいだ毎晩「歩罡踏斗」というステップを踏むというハードなもの。現代人の感覚からすると、利くかどうか分からない儀式で体力を消耗するよりも安静にしているほうがいいのではと思いがちですが、諸葛亮や姜維はこの儀式をどの程度信じていたのでしょうか。
諸葛亮は信じていた
姜維が延命祈祷を勧めた時、諸葛亮はこう言いました。「その方法は知っているが天意がどうであるかは分からない」祈祷を行っても寿命が延びるかどうかは分からない、と、祈祷の効果を疑っているような口ぶりです。しかし、そう言いつつもいそいそと祈祷に取りかかっていますので、うまくいくことも充分考えられると思っていたのでしょう。
祈祷は七日間灯明が消えなければ成功するというもので、六日目の晩になって灯明が消えずにいるのを見た時、諸葛亮が心中甚だ喜んだという記述がありますので、こんなもの気休めだというような諦めモードの取り組みではなかったことが分かります。
合理主義者のはずでは?
諸葛亮は法に基づく公平な政治を行ったことが有名で、また、自分のお墓には豪華な副葬品は入れるなと言っていた人です。そんな合理主義的な人が延命祈祷なんて信じていたのかしらと疑わしくなりますが、三国志演義の諸葛亮は信じていたはずです。なぜなら、三国志演義の諸葛亮は自分が妖術使いだからです。赤壁の戦いの時には七星壇の上で儀式を行い風を吹かせていますので、星を祭ればいろんなことができるというのは彼にとっては常識だったことでしょう。
姜維は祈祷を信じていたのか
正史三国志でも三国志演義でも、姜維が神秘的な術を行ったような記述はありません。姜維の法術に対する考え方は一般人と同じものであったろうと思います。時々そういう術を行う人がいるという話を聞いたりデモンストレーションを見たりする機会があったとしても、本当かな? 手品じゃないのかな? と半信半疑だったのではないでしょうか。だとすると、自分が信じていない延命祈祷をなぜ諸葛亮に勧めたのかが気になりますね。
病は気から
三国志演義に描かれている諸葛亮の病状を見ると、諸葛亮は精神的にショックなことがあった時に吐血をして体調を崩しています。五年前にも将来に期待をかけていた若手武将が亡くなった時に嘆きのあまり同じ症状で体調を崩したことがありますが、その時はただちに遠征を中止して療養に入り健康を回復しました。姜維がその情報を知っていたとすれば、こう考えたのではないでしょうか。
“この病気は、気持ちを落ち着けて安静にしていれば治る……”
ところで、目の前の諸葛亮は天文から自分の寿命が残りわずかであると信じ込んで動揺しています。
姜維が星占いやおまじないを全然信じていないとすれば、こう考えたはずです。
“星がどうだって人の寿命と関係あるものか。星を見て動揺していることこそが体に触るのだ”
祈祷の心理的効果
どうにかして諸葛亮の気持ちを落ち着かせたいと考えた姜維は、諸葛亮が星占いやおまじないを本気で信じていることを逆手にとって延命祈祷をすすめたのではないでしょうか。
姜維自身はおまじないなんて全然信じていなくても、諸葛亮が信じているならまじないをさせて、儀式が終了したら“ああよかった! おまじないをしたからこれで治る!”と安心してもらって健康を回復して欲しかったのだと思います。気持ちが落ち着いて吐血が止まり患部がふさがれば、あとはゆっくり体力を回復すれば元気になるはずだと考えたのではないでしょうか。
三国志ライター よかミカンの独り言
この延命祈祷、六日目の晩に事故で灯明が消えてしまい、失敗に終わります。そこで諸葛亮はがっくりして大量に吐血をして死の床についてしまうのですが、祈祷が成功していればそうはならなかったのではないかなと思います。
おまじないをして寿命が延びるなんてありえないよ、と思いつつも、心理的な効果で一命をとりとめることは充分ありうるだろうなと思います。本気で星占いを信じている諸葛亮を見て、おまじないでもしたらと勧めた姜維の心境を慮ると、祈祷失敗の顛末はとても切ない気がします。
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