陸抗は父・陸遜と同じく三国志の歴史に名前を刻んだ優秀な人物で様々な方面で活躍した人物です。陸抗は軍事面においては中国のほとんどを手にしていた晋から攻撃をされずに領土をしっかりと守り、行政面においても民衆に徳を持って接し、平和な期間を作り上げています。
また陸抗は孫呉の敵である晋の将軍・羊祜と素晴らしい友情を築き上げ、後世に「陸羊の交わり」として伝えられるほどでした。陸遜・陸抗の二代に渡って優秀な人材を輩出しましたが、陸抗の子孫も陸抗や陸遜のように優秀な人材だったのでしょうか。
この記事の目次
陸抗の息子達は何人いたの!?
正史三国志によると陸抗の息子達は6人いたそうです。長男を陸晏、次男・陸景、三男・陸玄、四男・陸機、五男・陸雲、六男・陸耽です。おそ松さんも六人兄弟で超人気になっており、アニメ界の歴史に新たな一ページを刻んでいます。陸抗の息子もおそ松さんの六人兄弟のように歴史にその名を刻む様な活躍をしたのでしょうか。
陸抗の息子で晋と戦った陸晏
まず初めに陸抗の長男・陸晏から紹介していきましょう。陸晏は陸抗が亡くなると陸抗の跡を継ぐことになります。陸晏は成都から長江の流れに沿って孫呉の領土へ攻撃を仕掛けてきた王濬の別動隊と戦いを繰り広げることになります。陸晏は必死に王濬の別動隊と戦いますが、衆寡敵せず敗北し、討ち取られてしまいます。この時、陸晏の弟・陸景も亡くなってしまいますが、陸景はどのような人物だったのでしょうか。
学問好きで何冊も本を残した陸景
陸景は兄・陸晏と一緒に晋軍と戦いますが、討ち取られてしまい亡くなってしまいますが、どのような人物だったのでしょうか。陸景は学問が好きで、何冊も本を書いた文豪ですが、軍事的な能力については詳しい実績が残っていないのでわかりません。しかし晋の軍勢と戦ったところを見ると軍事面で凡庸な人物では無いのと思われます。陸晏と陸景は正史三国志に記載がありますが、陸玄については何の記載もありませんでした。そのため陸玄については割愛させていただきます。
二陸と呼ばれた陸機・陸雲兄弟
陸抗の四男と五男に当たる陸機・陸雲兄弟。彼らは孫呉滅亡後ふたり揃って晋に仕えることになり、晋の重職・張華の元へ向かいます。張華は陸機・陸雲の兄弟を一目見て「孫呉を滅亡させた最大の収穫はこのふたりの兄弟を手に入れた事だ」とベタ褒め。張華は二人を褒めたたえただけでなく、二人のいい評判を晋の有力者達へ流します。
その結果、陸機は晋の高官・楊駿に仕え、陸雲は呉王の元にそれぞれ仕える事になります。二人は共に民衆に対してきめ細かく、思いやりのある政治を行ったことで民衆に感謝されます。また二人の部下であった役人達も彼らの働き方に感服し、一生懸命仕事を行います。こうした実績が政府中央に認められた二人はメキメキと出世していくことになりますが、司馬穎に仕えた事で人生が大きく変わっていくことになります。
司馬穎に信頼される兄弟
陸機・陸雲の兄弟は司馬穎に仕え実力を見せると陸雲は軍の実務を取り仕切る右司馬へ出世。そして陸機は後将軍へ出世することになります。こうして二人の兄弟は司馬穎から厚い信頼を受けることになります。
そんな中、司馬穎は兄弟の一人・司馬乂が洛陽でやりたい放題朝廷を操っていることに激怒し、陸機を総大将にして大軍を与え、司馬乂討伐を行わせます。陸機は一生懸命、司馬乂の軍勢と戦いますが、中々大勝利を得ることができず損害ばかり出してしまいます。
司馬穎のお気に入りの讒言のせいで
陸機は司馬乂の軍勢と一生懸命戦っている最中、司馬穎のお気に入りの宦官が陸機の悪口を言い立てます。司馬穎は始め彼の言うことを信じていませんでした。しかし陸機の下にいる将軍達も「陸機に対して不穏な動きがある」と訴え司馬穎へ直訴。
司馬穎はお気に入りの宦官や陸機の元にいる将軍達の訴えを聞き入れ、陸機、陸雲、陸耽の三兄弟を殺害。民衆は彼らの死を聞くと大いに嘆きます。また彼らの事を高く評価していた晋王朝の人々は彼らが亡くなったと知りすごく悲しんだそうです。
三国志ライター黒田レンの独り言
陸機・陸雲兄弟は政治において卓抜な手腕を見せますが、文学においても非常に優れた才能を見せています。陸機が作った作品は後々の世まで伝えられることになったそうです。また陸雲は文章の巧さでは陸機に及びませんでしたが、口頭で意見を伝えたり、議論をさせれば陸機を上回る実力を持っていたそうです。
参考 正史三国志呉書等
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