司馬乂とはどんな人?八王の乱では唯一の希望だった王




はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

誅殺大好きな賈南風

 

新しく開かれた晋王朝、しかし皇后となった賈南風(かなんぷう)のやりたい放題によって巻き起こされる八王(はちおう)の乱という嵐。

 

毒酒を飲み自害させられた賈南風

 

その賈南風、そして賈一族はその一族の血を引く司馬冏(しばけい)によって取り除かれました。

 

政治の場を取り仕切るや否や堕落した司馬冏

 

そして司馬も処刑されることになるのですが、それに関わった人物こそが司馬乂(しばがい)

 

司馬乂

 

今回は八王の乱のメンバーの一人、もしかしたら歴史が変わったかもしれない存在、司馬乂を紹介していきましょう。

 

※注意※胃もたれするほど「司馬」が出てきますので胃薬のご用意などをおススメします。




長沙王・司馬乂

司馬穎は司馬炎の十九番目の子

 

司馬乂は晋の初代皇帝、司馬炎(しばえん)の十七番目の子です。兄は恵帝(けいてい)司馬衷(しばちゅう)楚王(そおう)・司馬イ、弟に成都王・司馬穎(しばえい)、後の懐帝(かいてい)司馬熾(しばし)らがいます。

 

十三歳で長沙王になる司馬乂

 

司馬乂が長沙王(ちょうさおう)になったのは十三歳の時のことでした。晋王朝は身内に権力を回すという方針であったため、司馬炎の子である司馬乂もその血筋に見合った立場が与えられたのです。

 

無実なのに逮捕される司馬亮

 

しかし291年、司馬乂の立場は一転します。兄である司馬イが汝南王・司馬亮(しばりょう)衛瓘(えいかん)を討ち、その後に罪人として処刑されたのです。司馬乂は常山王へと降格され、中央政権からは遠ざけられました。

 

関連記事:司馬亮とはどんな人?八王の乱の先陣を切った犠牲者

関連記事:衛瓘とはどんな人?鄧艾と鍾会を始末した鍾会の乱の受益者




司馬ケイとの対決

人気獲得のために爵位をばらまく司馬倫

 

301年、再び晋王朝の歴史が動きます。司馬倫(しばりん)による恵帝・司馬衷からの皇位簒奪(さんだつ)、これに司馬ケイ、司馬エイ、司馬ギョウらによる三王起義に司馬乂も参加。

 

司馬倫討伐に参戦し城を陥落させる司馬乂

 

この際に司馬乂は(ちょう)で司馬倫の家臣らの城を陥落、討ち取り、司馬エイの元に駆けつけて味方の寝返りを見抜いてこれを討ち取るという大活躍、これにて長沙王への復権が許されました。

 

司馬冏による専横にキレる司馬乂

 

しかし次に始まったのは司馬ケイによる専横。司馬乂はこれに激しく憤り、弟、司馬エイと司馬炎の墓参りの際に「この天下は父上の築いたもの、お前もこれを護らなければならない」と言ったとされています。

 

この言葉からも、司馬乂の人物像が少し見えてきますね。

 

関連記事:司馬倫とはどんな人?実は皇帝でもあり八王の乱の王の一人

関連記事:司馬炎はなぜ呉を滅ぼすのに15年かかった?中華統一はどうでもいいの?

 

疾風怒濤の働き

司馬顒は司馬冏の討伐を考える

 

302年、司馬顒(しばぎょう)は司馬ケイの討伐を考えます。

 

司馬冏の討伐で司馬乂には死んでもらおうと企む司馬顒

 

この際に司馬ギョウはまず司馬乂を動かし、殺されてからそれを理由に司馬ケイの討伐をしようと企みました。が、この司馬乂は司馬ギョウの予想の遥か上をかっとんだ働きをしてしまうのです。

 

司馬乂は宮中に乗り込み、恵帝・司馬衷の身柄を確保

 

司馬乂は100人の兵士たちと共に宮中に乗り込み、まずは恵帝・司馬衷の身柄を確保。宮中であるにも関わらず建物に火を放って容赦なく矢の雨を降らせ、

 

「逆賊である司馬ケイを滅ぼすのだ!邪魔する者は五族滅ぼすぞ!」

 

司馬乂により取り押さえられる司馬冏

 

三日三晩にこの攻撃は続き、その恫喝に恐れをなしたのか司馬ケイは取り押さえられて降伏させられました。こうして司馬ケイは討伐され、司馬乂は宮中一の権力を持つようになって……しまいました。

 

司馬乂討伐

司馬乂は恵帝・司馬衷に良く忠誠を誓う

 

司馬乂は恵帝・司馬衷に良く忠誠を誓い、何かを決める際には良く司馬エイと相談するようにしました。

 

司馬乂をよく思っていない司馬穎、司馬顒

 

が、そんな司馬乂は司馬エイ、司馬ギョウにとっては邪魔な存在でしかなかったのです。

 

司馬衷に司馬乂を討伐しましょうと提案する司馬穎

 

そこで司馬穎(しばえい)、司馬ギョウは恵帝・司馬衷に

「乂は謀反人ですから討伐しましょう!」と手紙を送ります。

 

司馬ギョウこそが私利私欲で動く悪人である!と張り切る司馬衷

 

「何を言うか!司馬ギョウこそが私利私欲で動く悪人である!」

 

司馬衷は司馬顒を討伐するよう司馬乂に要請し自らも出陣

 

何とここまで自分の意見など言わなかった恵帝・司馬衷、司馬ギョウの討伐を司馬乂に申し付け、自身も出陣するとまで言い出しました。

 

二十万近くの連合軍に包囲された司馬乂だけど打ち破る

 

しかし対峙する司馬ギョウ、司馬エイの連合軍はこの時点で二十万近く、包囲された司馬乂万事休す……かと思いきや大活躍し、何気にここで陸遜(りくそん)の孫を打ち破ったりして一転、司馬ギョウ、司馬エイの予想を再び覆すのでした。

 

【次のページに続きます】




次のページへ >

1

2>

関連記事

  1. 異議ありと叫ぶ司馬懿
  2. はじめての三国志 画像準備中
  3. 楊脩(ようしゅう)
  4. 鍾会
  5. 無実なのに逮捕される司馬亮
  6. はじめての晋

    何で曹操は漢中で劉備に負けたの?

    これまで、劉備(りゅうび)対曹操(そうそう…

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。




はじめての三国志企画集

“はじめての三国志企画特集"

“はじめての三国志倶楽部

“濡須口の戦い

“赤壁の戦い

“公孫瓚

“はじめての三国志公式LINEアカウント"

“光武帝

“三国志データベース"

“三国志人物事典

鍾会の乱

八王の乱

“はじめての三国志公式LINEアカウント"




PAGE TOP