歴史上の有名人にはパパがしっかりと地盤を築いていたからこそ活躍できた人がいっぱいいます。例えば戦国時代の覇者・織田信長はパパが地盤をしっかりと固めていたからこそ、戦国時代の覇者として活躍することができました。
また三国時代の曹操はパパやじいちゃんがお金を貯めて、後漢王朝でしっかりと名声を得て人脈や地盤を築いていたからこそ、三国志の歴史においてその名を刻んだと言えるでしょう。このように多くの歴史上に名を残した人物はパパやおじいちゃんの人脈や財力を使って歴史に名を残した人がたくさんいるのです。では三国時代に曹操と中国の覇権を争った袁紹の父はいったいどんな人物で、袁紹に何を残したのでしょうか。
袁紹の父はいったい誰なの!?
袁紹は名門と呼ばれた袁家の一族に生まれますが、彼の父親はいったい誰なのでしょうか。袁紹の父親が分からないと今回のお話も先に進まないので、まずは彼のお父さんから紹介したいと思います。袁紹の父親は袁成と言います。袁紹の父親が分かった所でまずはこの袁成についてちょこっと紹介しましょう。
名門出身なのにキップのいい人で人脈作りの天才だった
皆さんは名門というとどんなイメージを持っていますか。自分より下の者に対しては強気に出て見下したり、強い者にはこびへつらうような人だと思っているのでしょうか。それとも名門はお金持ちなので美女を侍らせているようなイメージを持っているのでしょうか。レンの名門イメージは上二つです。しかし袁成はレンのイメージをぶっ壊す名門でした。
袁成は名門袁家に生まれ父親は蜀郡の太守を勤めていました。レンのイメージのような人ではなく、キップのいい人で羽目をはずしてドンちゃん騒ぎするような人ではなく、しっかりと己を律していました。また袁成は色々な人と交流を結んでいたそうです。この袁成の人柄に多くの人が彼と交流を結び、後漢王朝の桓帝時代の最大の権力者梁冀も彼と付き合っていたそうです。
このように多くの人と付き合って人脈を広げていた袁成の言葉は大体の事がすんなりと通り「できないことや困ったことがあれば袁成を頼れ」とことわざがきるほどだったそうです。このように人脈作りの天才ともいえる袁成が袁紹の父親でした。
袁紹は若いころに父親と死別
袁紹の父親・袁成は袁紹が誕生して数年後に亡くなってしまいます。そのため袁紹はほとんど父親から受け継いだ物はあまりありませんでした。しかし父親の兄弟達が袁紹を引き取り、彼を教育していきます。袁紹は父親から受け継いだ物よりもこの父親の兄弟達から多くのものを受け継いでいくことになります。
父の兄弟から多くのものを受け継ぐ
袁紹は父の兄弟から多くの物をもらい受け継いでいくことになります。例えば袁紹は父が幼いころに亡くなってしまったため、父の兄弟に引き取られて育てられていく事になります。袁紹は20歳になると父の兄弟達のおかげで役職につくことができます。また父の兄弟達は三公の役職にいたことで、袁紹は同年代の中でいち早く出世していくことになります。このように袁紹は多くの物を父の兄弟から受け継いで三国時代の群雄の一人として駆け上がっていくのです。
三国志ライター黒田レンの独り言
袁紹は父から受け継いだ物はほとんどないと記載しましたが、一つだけあります。それは性格です。袁紹は父と同じくキップのいい性格だったことです。このため袁紹の元には多くの有名人がやってくることになります。例えば曹操の親友として有名な張邈、袁紹の参謀として活躍していたことがある許攸などの人物が彼と交友を結んでいたそうです。袁紹は父の性格を受け継いだことで人脈作りをすんなりすることができたのではないでしょうか。
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