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古代中国の権力シンボル[鼎]、その真実とは?

2024年4月20日


書物

 

 

中国古典を読んでいると、度々出てくる「鼎」という文。これは何だ?と調べてみると、どうやら「テイ」もしくは「かなえ」と読むらしい…。なんだか女の子の名前みたいな「鼎」ですが、果たしてこれは何なのでしょうか? その正体に迫っていきましょう。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国鼎立の時代

孫権、曹操と劉備が飲んでいる

 

三国志』ファンの皆さんは、この「鼎」という字に見覚えがあることでしょう。そう、・蜀・呉の三国が中国大陸に興った時代を指す「三国鼎立」という言葉に使われているのです。もしも二国だったら「両立」やら「並立」やらといった言葉が使われるでしょうから、この「鼎立」という言葉はどうやら「3」に関係がある様子

 

 

三つ足のお鍋

鼎

 

辞書で「鼎」という字を引いてみると、「中国古代に使用された肉を煮る鍋・釜。普通は三つ足だが、四つ足の方鼎というものもある。青銅などの金属製のものと陶製のものとがあり、煮炊きするだけではなく、祭祀にも用いられた。」といったようなことが記されています。どうやら基本的には金属製の三つ足のお鍋を指すようですが、「祭祀にも用いられた」というところが気になりますね。この「鼎」というお鍋は祭祀でどのように用いられていたのでしょうか?

 

 

祖先に捧げる肉を煮ていた

鼎で料理

 

お料理のときに使われていたという「鼎」。「料理以外で何か使い道があるのかな?」と期待した皆さんには申し訳ありませんが、やっぱり他に使い道などありません。祭祀において「鼎」は祖先に捧げるお肉を煮るために使われていたようです。しかし、ただのお鍋とは違って超ビッグサイズ。その上、精巧な装飾や銘文が刻まれています。祖先のために大きな肉を奉ろうと考えた結果、ビッグでゴージャスなものに進化したのでしょう。そして、時代が下るにつれ、ビッグであればビッグであるほど、ゴージャスであればゴージャスであるほどその人の権威の大きさを示すようになっていきました。

 

 

ついに王権の象徴にまでのぼりつめる

 

人々の見栄により健やかに立派に成長を遂げた鼎ですが、ただの礼器として終わることはありませんでした。なんとついに、王権を象徴するアイテムになったのです。鼎が王権の象徴となったのは今から数千年前に中国大陸に存在していたとされる夏の時代。その夏王朝の始祖・禹が中国全土から青銅を集めさせて「九鼎」を作ったのです。

 

この鼎は夏王朝が滅んだ後には殷王朝に受け継がれ、殷王朝が滅んだ後には周王朝に受け継がれました。歴代王朝に脈々と受け継がれたことから、「九鼎」は正統な王朝である証となり、「鼎を定む」と言えば「都を別の地に移すこと」を意味するようになったのです。

 

 

秦、うっかり鼎をなくす

昭襄王

 

孔子(こうし)に理想の国家であると太鼓判を押される周王朝ですが、周囲の諸侯の力がどんどん大きくなっていき、周王朝自体も2つに分裂。ついにその命脈が尽きるときが訪れます。

 

2つに分裂した周には東西にそれぞれ王と呼べる存在がありました。秦の昭襄(しょうじょうおう)はまず西周を滅ぼしにかかり、このとき秦は周に伝わっていた「九鼎」をゲット。ついに王の象徴たる「九鼎」をゲットしてテンションぶち上がりの秦でしたが、西周を失った者たちが東周に逃げだしたことにより混乱が生じ、あろうことか「九鼎」を泗水に池ポチャならぬ河ポチャしてしまったのです。

 

 

秦の始皇帝、仕方がなく新しいシンボルを作成

玉璽

 

共に戦国の七雄と称された韓・魏・趙・・楚の6国を平らげた始皇帝でしたが、いざ中国大陸に君臨しようというときに中華を統べる王の象徴たる「九鼎」がないことに気がつきます。秦の始皇帝(しんのしこうてい)は泗水に河ポチャしてしまったという話を突き止め、河に人を潜らせてまで「九鼎」を探したのですが、ついに「九鼎」を見つけることはできませんでした。困った始皇帝は仕方がなく新しい王のシンボルをつくることにしますそうしてできたのが、「玉璽(ぎょくじ)」です

 

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライター chopsticks

 

鼎ではなく公文書の決済印を象徴として選んだあたり、法治国家たる秦を築いた始皇帝らしいですよね。以後、この「玉璽」が「九鼎」に代わって歴代王朝に受け継がれていくことになったのでした。

 

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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