広告募集
ビジネス

はじめての三国志

menu

はじめての変

「燕」ってどんな国?キングダム戦国七雄を徹底紹介

この記事の所要時間: 631
photo credit: DSC_3759 via photopin (license)

photo credit: DSC_3759 via photopin (license)

 

キングダムでは、レジェンド武将、楽毅(がっき)の活躍した土地である燕、

私達のイメージでは、燕=北なんですが、実は燕の首都の薊(けい)は

現在の北京だったりします。

 

では、戦国七雄の一国、とはどのような国だったのでしょう?

 

関連記事:キングダムのレジェンド、楽毅(がくき)は何をした人?

 

 

燕の建国は召公奭(しょうこうせき)

photo credit: via photopin (license)

photo credit: via photopin (license)

 

燕を建国したのは、周の武王の殷(いん)討伐に功績があった

召公奭であると言われます。

 

彼は武王の同族でしたので歴とした王族という事になります。

元々、彼は、山東省の魯国の周公旦(しゅうこう・たん)

の隣に土地をもらい伯爵になりますが、

周の成王(せいおう)の頃に、現在の燕の土地に移ったようです。

 

ただ、燕の事は当時の記録に乏しく、確実に燕が周王室と同じ

姫姓であるかどうかは分からず、結姓であるという遺跡もあります。

 

関連記事:中国最古の王朝 殷とはどんな国だったの?

関連記事:殷末の武将たちの戦いをもとに書かれた『封神演義』

 

春秋時代、荘公うっかりミスから斉の桓公より領地をもらう

 

春秋時代の燕についての記録は乏しいようです、燕は北方で中央から遠いので、

中原にある周王室からも縁が薄い土地だったかも知れません。

ただ、燕の18代目の君主、荘公(そうこう)が北方の遊牧民、

犬戎(けんじゅう)に攻め込まれた際に斉の桓公(かんこう)に

援軍を要請して、これを撃退した事があります。

 

この時に、荘公はあまりの嬉しさに帰還する斉軍を斉の国境付近まで

見送りするという大サービスをします。

 

当時、国境を越えて軍を見送るのは周王にしか出来なかった

 

ところが、うっかりしていた荘公は、国境を越えて斉の領地に入ります。

当時の常識では、国境を越えて軍を見送りできるのは周王のみであり、

荘公の行動は越権行為でした。

 

しかし、斉の桓公は、宰相の管仲(かんちゅう)にこれを指摘されると、

荘公に罪を与えまいと荘公が踏み込んだ部分を燕の領土として割譲しました。

 

これを知った周辺国は「流石は覇者の桓公、心が広いものだ」と心服して

桓公の名前は、さらに轟いたという事です。

でも、うっかりミスで領地を得たのなら荘公も悪い気はしなかったでしょうね。

 

関連記事:諸葛孔明が目指した軍師・管仲は、結構性格が悪い

 

戦国時代に入り、燕は領地を拡大するも、残念な君主が登場

 

「史記」蘇秦(そしん)列伝によると紀元前334年の段階の燕は

「東に朝鮮・遼東、北に林胡(りんこ)・楼煩(ろうはん)、西に雲中(うんちゅう)・

九原(きゅうげん)、南に呼沱(こだ)・易水(えきすい)がある」

 

といわれており、すでに広大な領域を支配していたことが分かります。

 

記録にはありませんが、歴代の君主がコツコツと支配地を広げていたのでしょう。

ところが、その苦労を台無しにする残念な君主が登場します。

 

38代国王 燕王噲(かい)宰相、子之(しし)に政治を丸投げ

 

燕が王を名乗るようになり二代目の燕王噲は、全く政治に関心がない人物でした。

在世中から、宰相の子之を盲信して隠居状態になります。

 

さらに、何を思ったか「燕王は子之にこそ相応しい」と自分から禅譲を行い

紀元前317年、王位を子之に譲ってしまったのです。

 

これには、息子の太子、平(へい)も家臣も激怒し、

新しく王になった子之に反抗し燕は意味も無く内乱状態に陥ります。

 

隣国の斉が、太子平を助けると援軍を派遣するが・・

 

それを見ていた斉は、太子平を助ける事を名目に大軍を派遣しますが、

途中で豹変し、子之も、太子平の軍も攻撃して撃破します。

ここで、燕の前王噲は戦死、 燕は全領土を斉に征服されて

亡国状態になりました。

 

復讐に燃える、太子平は燕最大の名君、昭王になる

photo credit: universe via photopin (license)

photo credit: universe via photopin (license)

 

太子平は、再び軍を立てなおし、子之を滅ぼして王位に就きました。

それを見た斉軍は、太子平が今後斉に逆らわないという条件で

軍を引き上げる事に同意しました。

 

しかし、斉に荒らされた燕の傷痕は深いモノでした。

即位して昭王になった平は、斉への恨みを晴らさんとして、

復讐の鬼になり黙々と国内の整備と人材集めに全力を注ぎます。

 

名将、楽毅(がくき)、燕にやってくる

 

燕の昭王は、人材を集めるのにお金と労力を惜しみませんでした。

まず郭隗(かくかい)という人物のアドバイスを受けて彼を重用して

師と仰ぎ、大きな宮殿まで建てて与えました。

それを見た各国の名士は、

「郭隗如きでも大事にされるなら、俺達も重んじられるに違いない」と

燕にどんどん集まっていきます。

率先垂範を意味する慣用句「まず隗より始めよ」は、これが語源です。

それにより小国の燕には、場違いな優秀な人材があつまり、

国力は劇的に回復し強くなっていきました。

 

その中で魏から飛び出した楽毅も燕にやってきます。

そして、斉に復讐せんとする昭王の為に斉を包囲する、

五カ国連合軍のプランを提案して自ら奔走し、

ついに、紀元前284年魏、趙、秦、韓、燕の五カ国50万の大軍を集めて、

斉軍を撃破して斉の領土を奪い30年に及ぶ昭王の恨みを晴らしました。

 

昭王が死去し、燕は弱体化する

 

この時、燕の領土は斉も併合して、秦をも凌ぐものになりましたが、

間もなく昭王が死んで、息子の恵王が立つと、斉の田単の策にハマり、

楽毅を更迭してしまいます。

 

斉軍はこれで息を吹き返し、折角奪った斉の領地は全て奪い返され

燕の領地は一気に縮小してしまいました。

 

燕、趙が秦に滅ぼされて慌てはじめる

photo credit: Cóndor via photopin (license)

photo credit: Cóndor via photopin (license)

 

そこからの燕は、名君も出ず、没落一直線でしたが前面に趙が存在し

秦の盾になっていたので、その脅威を感じないで済みました。

ところが、紀元前228年に、秦が趙を滅ぼすと秦の脅威が燕に

襲いかかる事になります。

 

燕の太子丹(たん)、荊軻を使って秦王暗殺を企む

photo credit: Sunrise via photopin (license)

photo credit: Sunrise via photopin (license)

 

燕の太子丹は、秦王政に個人的な恨みもあり、これを殺したいと

考え、暗殺者の荊軻(けいか)を呼び出します。

荊軻は、秦王を殺すには、燕の本拠地の地図と秦から亡命した将軍、

樊於期(はんおき)こと桓騎(かんき)の首が必要だと言います。

 

丹は「地図は兎も角、自分を頼って逃げてきた桓騎の首は取れない」と拒否。

荊軻は、それならばと桓騎と直接交渉し桓騎も

「俺の代わりに仇を討ってくれるならば喜んで・・」

と、みずからの首を刎ねて差し出します。

 

関連記事:【キングダム】桓騎(かんき)秦を亡命し樊於期と名前を変え秦王に復讐

 

荊軻、秦王暗殺に失敗、燕は滅ぼされる

photo credit: Purple Tomato via photopin (license)

photo credit: Purple Tomato via photopin (license)

 

ところが、荊軻の秦王暗殺は、あと一歩という所で失敗します。

暗殺の背景に燕がいる事を知った秦王政は激怒し紀元前226年

将軍王翦(おうせん)とキングダムの主人公、李信(りしん)に

軍を与えてこれを追討させます。

 

燕王の喜(き)は半年粘りますが、首都、薊を包囲されて遼東に亡命します。

しかし、それでも秦の攻撃は止まないので事件の元凶である息子の太子丹を

殺して、その首を秦の将軍の李信に届けて謝罪しました。

 

それから4年間、燕は遼東で亡命政権として存続しますが、

紀元前222年、秦王は気が変わり、再び燕王、喜を攻めて滅ぼしました。

ここで燕は滅亡して、その命脈を閉じています。

 

関連記事:王騎将軍は二人いた!キングダムのカリスマの真実 

関連記事:【キングダム ネタバレ注意】秦・中華統一後、王賁(おうはん)は今後どうなる?

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

燕は、春秋戦国時代の歴史の中では、ほんの一時の存在感ですが、

名将、楽毅を見出したり、一か八かの始皇帝暗殺を企んだりと、

時代の見せ場を作るのが上手い国であるように思います。

 

ただ、秦と隣接していなかったので、危機意識が鈍く、

最後の最期で秦と隣接して大慌てなどは、

中原から遠い国にありがちの情報力の弱さも感じますね。

でも、荊軻の始皇帝暗殺が成功していたら、秦はああいう

勢力争いが激しい国柄なので中国統一は、さらに数十年遅れたかも知れません。

 

関連記事:【キングダム ネタバレ注意】史上最悪の宦官 趙高(ちょうこう)誕生秘話 

関連記事:キングダムと三国志の違いって何?時代を追ってみる

関連記事:キングダムのレジェンド、楽毅(がくき)は何をした人?

 

—熱き『キングダム』の原点がココに—

春秋戦国時代バナー

 

 

 

こちらの記事もよく読まれています

項羽と劉邦

 

よく読まれてる記事:滅びゆく秦、そして中国に二人の巨星が現れる

 

劉邦おんぶ 優秀な人材

 

よく読まれてる記事:人材を使いこなす事で天下を取った劉邦

 

悲劇の英雄 項羽1

関連記事:項羽はあれだけ最強だったのに何故、天下を取れなかったのか?

 

 

この記事を書いた人:kawauso

kawauso

■自己紹介:

どうも、kawausoでーす、好きな食べ物はサーモンです。
歴史ライターとして、仕事をし紙の本を出して大当たりし印税で食べるのが夢です。
もちろん、食べるのはサーモンです。

関連記事

  1. 【はじさん書評倶楽部】堀江貴文「多動力」を読む
  2. ここを押さえれば大丈夫!NHK大河ドラマ『真田丸』を100倍楽し…
  3. 16話:菫卓を変貌させた権力と武官差別
  4. 袁術のもと、孫家を守り抜いた孫賁(そんふん)、孫輔(そんほ)兄弟…
  5. 【実録】三国志の時代のショッピングは命がけだった?
  6. 孫家二代目は孫策ではない?もう一人の後継者が存在した!
  7. 【三国志ライター黒田廉が行く】始皇帝と大兵馬俑から始皇帝がおこな…
  8. 【夏休みや旅行の移動時間にいかが】キングダムや三国志よりもすごい…

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 試験に出ます!九品官人法(きゅうひんかんじんほう)の理想と弊害
  2. 【センゴク祭り】織田信長と足利義昭の仲が悪くなった原因って何?
  3. 【キングダム ネタバレ注意】史上最悪の宦官 趙高(ちょうこう)誕生秘話
  4. はじさんが劉備を丸裸に!素顔は?身長は?劉備を徹底追及!
  5. 陸遜は兵法の本質を理解していた戦術家だったの?夷陵の戦いから読み取る陸遜の能力
  6. 【週間まとめ】はじめての三国志ニュース15記事【10/3〜10/9】

三國志雑学

“広告募集"

はじめての三国志の書籍情報

朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ (桃園出版 三国舎)

著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

おすすめ記事

【素朴な疑問】三国志に海上での戦いってあったの? 王平(おうへい)ってどんな人?馬稷の山登りを止めようとした蜀の武将 五分でわかる蜀の名将達の現代にまで残る名言・逸話【三国志逸話列伝】 びっくり!五丈原の戦いの戦費、現在で換算すると、なんと○○円! 【出世の花道】三国志時代の人々はどのように出世した? ゾトアオとはどんな人?人間を超越している異民族の首領【後編】 キングダムファンなら絶対読むべき!三国志も面白い! 馬良(ばりょう)って何した人だっけ?意外な馬良の役割と任務に迫る!

おすすめ記事

  1. 姜維は忠臣なのか、それとも愚将か?
  2. これはキツイ!健康が回復するかで刑罰が決まる保辜(ほこ)
  3. 蜀が好きな皆さんへ!五分で分かる桃園の三兄弟の逸話を紹介
  4. 狐偃(こえん)とはどんな人?晋の文公を覇者の地位までのし上げた宿臣
  5. 費禕(ひい)ってどんな人?諸葛亮亡き後の蜀を支えた四相の1人
  6. 孔明にパクリ容疑!?天下三分の計を最初に考えた蒯徹(かいつう)
  7. 反董卓連合軍に参加したのは、誰と誰なの?【素朴な質問】
  8. 媧燐(かりん)は実在した?ベトナムの女桀と呉の陸胤の戦いの意外な決着

はじさん企画

帝政ローマ
広告募集
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
編集長日記
はじめての三国志TV
PAGE TOP