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袁紹は名君か凡君か?[歴史が告げる答え]

2024年7月2日


袁紹と荀彧

 

曹操(そうそう)のライバルとして立ちはだかった袁紹(えんしょう)ですが、有能な人物だったのでしょうか。それとも袁紹はマンガやゲーム等のように優柔不断な武将だったのでしょうか。今回は袁紹が名門の名将だったのか。それとも優柔不断な残念な武将だったのかをご紹介したいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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名門袁家に生まれた袁紹の性格は

袁紹

 

 

袁紹は名門と呼ばれる袁家に生まれますが、一体どのような性格だったのでしょうか。曹操は袁紹を「志は大きくても知恵が無く、顔つきは厳しいがキモが小さく、人を(ねた)んでばっかりな奴で威厳(いげん)にかけている。」と評価しています。

 

 

荀彧

 

 

また荀彧(じゅんいく)は「人を集めることができてもそれを活用する能力にかけているから結局宝の持ち腐れでしょう」と袁紹を評価しています。他にも色々な人が袁紹を評価していますが、どれも性格的にあまりよくない評価ばかりです。これらをまとめると知恵がなく、小心者で、嫉妬深く、威厳にかけて、決断力にかける人物というのは袁紹の性格らしいです。

 

 

袁紹は有能な人物だったの

北方謙三風ハードボイルドな袁紹

 

上記で袁紹の性格が酷評でしたが、袁紹は有能な人物だったのでしょうか。袁紹は多分有能な人物であったと思います。その理由は河北四州を統治していたからです。

 

三国志の時代多かれ少なかれ反乱がどこの地方起きていました。袁紹はこの反乱を見事に治めて河北四州を統治することに成功しています。また袁紹は北方異民族に対して宥和政策(ゆうわせいさく)を行い、彼らを抑えることにも成功しております。そのため一概(いちがい)に彼がダメな人であるとは言い難く、政治面においてはそれなりに優秀な人物であったと言えるのではないのでしょうか。

 

 

蒼天航路(そうてんこうろ)の袁紹は?

袁紹

 

ではマンガの袁紹は一体どんな風に書かれているのでしょうか。蒼天航路(そうてんこうろ)の袁紹は曹操に翻弄(ほんろう)される残念な人物として描かれていますが、官渡の戦いの時には覚醒し、優しい人物で細かい所を気にしないおおらかな人物として描かれています。

 

 

正史三国志の袁紹の評価とは

陳寿

 

 

正史三国志では袁紹の評価をどのように下しているのでしょうか。正史三国志の作者・陳寿(ちんじゅ)は「袁紹の威容は堂々としており、名声は天下に轟き、河北に割拠した」と意外と高評価を与えています。そんな高評価を与えた陳寿ですがこの評価はまだ前半で、続きがありました。

 

正史三国志を執筆する陳寿

 

 

陳寿は上記の後に「しかし、外面は寛大(かんだい)に振舞いながら内面は猜疑心(さいぎしん)が強く、(はかりごと)を好みながら決断力に欠けていた。また、優れた人物がいても用いることができず、忠言を聴いても実行できなかった。長子を廃して庶子を後継ぎにしようと考え、礼儀を捨て個人の情を重んじた。だからその死後、子孫が困窮(こんきゅう)し領地を失ったのは当然であった」と

 

前半で袁紹が喜びそうな言葉を散りばめながら、後半でガックシと落とす評価を彼に与えていました。しかし袁紹はやっぱり前半部分でもそれなりに高評価を陳寿から得ている事から、それなりに優秀な人物だったと思うのですが、皆様はどのように思いますか。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

今回は袁紹が名将かそれとも優柔不断な人物なのかをご紹介しました。袁紹は優柔不断なのか。それとも名将なのでしょうか。袁紹は名将とはとても言い難いですし、優柔不断な面もあります。

 

袁紹

 

しかし袁紹を戦ではなく統治者として見るのであれば、曹操に官渡で敗北する前には河北四州をしっかりと治めて反乱をほとんど起こさせていない平和な状態を作り出していたため、統治者としてはそれなりに優秀な人物だったと思います。そして結論としてはトップとして民衆や部下を率いるのではなく、誰か優秀な人物の下で働く文官としてならば、かなりの力を発揮する武将なのではないのかなと思います。皆様はどのように思いますか。

 

参考 ちくま学芸文庫 正史三国志魏書等

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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