三国志のお話の中で、曹操の頼れるブレーンとして知られている荀彧。曹操のしょげてる時も元気な時も知恵と勇気で補佐し続け、曹操から「我が子房」と信頼されていましたが、曹操が九錫(皇帝のシンボルアイテム)を受ける野心を見せた頃から両者の間に距離ができていったと考えられています。
しかし、思えば曹操と荀彧は最初からほとんど行動をともにしていないんですね。曹操は前線、荀彧は後方支援です。実は曹操、最初っから荀彧のことを避けていたんじゃないでしょうか。荀彧のニオイが臭いから。
荀彧の強烈なニオイ
『藝文類集』巻七十に引用されている『襄陽記』には、劉弘の談話として、荀彧が人の家に行って座った場所は三日経ってもまだお香のかおりがしたという逸話が書かれています。
これ、いい匂いだったのか嫌な臭いだったのか、微妙ですね。私が最初に就職した会社にもいたんですよ、香水プンプン男子が。彼が通った後は、廊下や階段のような開放的な場所であっても、半日経っても臭うんです。
「うっ……、さっき○○さん通った?」
「朝十時頃に来たんだよ~(現在時刻午後三時)」
いつもおんなじ香水を付けていると、付け方がエスカレートしていっても自分では匂い感覚が麻痺して気付かないんでしょうね。
曹操のお香ぎらい
『太平御覧』香部一の香に、曹操のお香禁止令が載っています。
【原文】
《魏武令》曰:昔天下初定,吾便禁家內不得香薰。后諸女配國家,為其香,
因此得燒香。吾不好燒香,恨不熟所禁。令復禁,不得燒香!
其以香藏衣著身,亦不得!
【訳文】
魏武(曹操)の令にこうある:天下を平定した頃、家の中での香薰を禁じたが、
娘達は結婚すると嫁ぎ先のつてでお香を手にして焚くようになってしまった。
私は香を焚くことを好まず、禁令を徹底させたい。改めて香を焚くことを禁ず。
香を衣服に入れて身につけることも禁止する。
(原文は中國哲學書電子化計劃より)
ずいぶん、毛嫌いしていた感じじゃないでしょうか。倹約家だったから贅沢品の香を嫌ったのだという説もありますが、倹約目的なら、曹操が禁じようと禁じまいと娘の嫁ぎ先にごろごろ転がっているお香のことまで言及するのはあまり意味がない気がします。やっぱり、臭いが嫌いだったのではないでしょうか。
俺ん家で香を焚くな! 俺の目の前に香を身につけてあらわれるな! 臭いから!っていう意味だと思います。曹操は頭痛持ちだったそうですが、臭いで頭痛が誘発されるのが嫌だったのかもしれませんよ。
荀彧との遠距離交際
曹操がお香嫌いだったとすると、三日経っても臭う荀彧と一緒にいられるわけありません。「おえ~、くっせー! こりゃたまらん! 文若(荀彧のあざな)ワシに近寄らないで!」と面と向かって言うわけにもいかないので、「じゃあワシ前線で頑張るから文若うしろで見守って」という役割分担になったのではないでしょうか。
で、前線から「兵糧がないからもう帰りゅ」みたいなお手紙を書いては「なに言ってんの、しっかりおし!」みたいなお返事をもらったりしながら力を合わせて頑張ってきたわけですが、曹操も天下の大半を手中にするに至って、「う~ん、あのくっさい相棒をどーすっかな~」ってなって、荀彧の謎の急死につながったのではないでしょうか。という想像は、ひどすぎますね。
臭いが原因で抹殺は、さすがにひどすぎます。やっぱりここは普通に考えて、荀彧が曹操の九錫に難色を示したことが原因でしょうか。
三国志ライター よかミカンの独り言
曹操のお香禁止令は、最初のとりきめが徹底されていないことに業を煮やして改めて念押ししているものですから、よほどお香が嫌いだったのではないでしょうか。いくら荀彧が頼れるブレーンでも、臭いが嫌だったら一緒にいるのはきつそうです。
ワシもそろそろ王様にでもなって都でのんびり過ごそうかなと思った時に、ううむこれからはあの臭いを毎日嗅ぎつづけることになるのか、と考えると、憂鬱だったのではないでしょうか。というのは冗談ですが、ニオイのことも天下のことも、なんでも語り合える二人だったらよかったのにな、と思う今日この頃です。
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