曹操(そうそう)は親衛隊に自らの身辺を守らせており、典韋(てんい)や許褚(きょちょ)が親衛隊の隊長として務めていました。
劉備も流浪時代は関羽(かんう)や張飛(ちょうひ)が劉備の周りをがっちりとガードしておりました。孫権にも鉄壁の守りと勇猛果敢で強いガードマンがいました。今回は孫権を守った鉄壁で強いガードマン周泰(しゅうたい)をピックアップしてみたいと思います。
孫策と一緒に異民族討伐へ出かける孫権
孫策(そんさく)は揚州(ようしゅう)で勢力を拡大していた劉繇(りゅうよう)を滅亡させ、王朗(おうろう)らを追放することに成功。こうして孫策は揚州最大の勢力として君臨することになります。
揚州に割拠する異民族達は孫策の勢力に従わず、反乱を繰り返し起こすのでした。孫策は異民族を服従させるため弟・孫権や数名の武将を連れて、異民族討伐へ向かいます。孫策は弟を異民族が駐屯地から近い城にとどまらせて、自ら異民族討伐へと向かうのでした。
孫権に危機が訪れる
孫権は城を守るため防御工事を施すように兵士達へ命令を下します。しかし兵士達は異民族が城に攻めてくるわけがないとタカをくくって、サボっていました。すると異民族の軍勢は孫家の兵士達の目論見を破って、城へ攻撃を仕掛けてきます。
孫家の兵士達は異民族からの攻撃を受けて大混乱に陥ってしまいます。孫権は自ら剣をふるって異民族の兵士からの攻撃を受けていましたが、ついに囲まれてしまうのでした。そんな孫権の元に一人が孫権を囲んでいる敵を打ち破ってやってきます。この人こそ孫権のガードマンとして活躍する・周泰です。
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孫権のガードマン周泰
周泰(しゅうたい)は孫権と一緒に城を守り、異民族の攻撃を受けると敵兵をバタバタと倒しながら、孫権を探していました。そして周泰の目に孫権が囲まれている姿が映り、孫権を助けるため異民族の兵士へ一人で突撃して、孫権を救出するのでした。
孫権は周泰のおかげで助かり、周泰と一緒に兵士を混乱から救い、軍勢を立て直した後、異民族の軍勢を追い返すことに成功するのでした。周泰は一人で敵兵を倒して孫権を守り通し、彼のその武勇と鉄壁の守りは孫呉の中でも上位ランクの強さだと思われます。
戦場で受けた傷だらけの体を宴会で自慢
孫権は周泰を濡須(じゅす)の砦を守らせる為、軍事指揮権を与え濡須を守らせることにします。周泰は孫権から軍事指揮権をもらうと武将達にあれこれ指示を出します。
だが周泰から指示を受けた武将達は、周泰の指示を聞かないで無視して勝手な行動ばかり起こしていました。孫権は濡須の武将達が周泰の命令を聞かないで、勝手に行動を起こしていることを知り自ら濡須に行き、武将達を集めて宴会を開催。
孫権は周泰の上着を脱がせて武将達へ「みんな見てくれ。周泰の腕の傷や背中の傷は全て私や兄を守るために受けた傷で、周泰がどれほど勇猛果敢に敵と戦ってきたのかがわかるだろう。周泰は孫呉のためにも一生懸命戦ってくれるからこそ、軍事指揮権を与えたんだ」と語りかけます。そして孫権は周泰に自らの被り物などを与え、周泰を見送るのでした。
周泰は孫権に激励された後、武将達を命令に従わせることに成功し、しっかりと濡須を守ることに成功したのでした。
三国志ライター黒田レンの独り言
周泰は他にも赤壁の戦いにも参加し、赤壁戦の後に起きた荊州(けいしゅう)の江陵(こうりょう)城の戦いでも、しっかりと実績を残しています。このように周泰は孫権を守るガードマンとして活躍したわけではなく、武将としても非常に優秀だったことが分かるのではないのでしょうか。
もしかしたら曹操のガードマン典韋や許褚に匹敵する強さと守りの硬さを持っていたのではないのでしょうか。
参考:ちくま学芸文庫 正史三国志呉書 小南一郎訳
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