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劉繇(りゅうよう)が凄い!袁術の宿敵?そこそこ頑張った英傑の生涯

この記事の所要時間: 426




劉備と曹操と孫権

 

三国志には、曹操(そうそう)劉備(りゅうび)

孫権(そんけん)のようなメジャーどころの群雄ばかりでなく、

そこそこ頑張れるが時代の波に流される群雄もいます。

 

漢王朝の末裔にあたる劉繇(りゅうよう)もそんな一人だったりします。

今回は、自称宇宙の支配者袁術(えんじゅつ)と激闘を繰り広げ、

そこそこの知名度を残した劉繇について、紹介してみたいと思います。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:【男の嫉妬は怖すぎる】スーパーエリート袁術 VS スター劉繇(りゅうよう)




漢の高祖、劉邦の曾孫の直系、サラブレット劉繇

袁術と劉繇

 

劉繇正礼(りゅうよう・せいれい:156~197年)は、

青州の東萊牟平(とうらいぼうへい)の出身です。

 

劉邦

 

彼も、劉備(りゅうび)などと同じく、漢王朝の末裔の家柄であり、

その先祖は、高祖・劉邦(りゅうほう)の孫、斉孝王劉将閭(りゅう・しょうがい)の

末子、牟平共侯(ぼうへいこう・こう)劉渫(りゅうちょう)です。

 

劉備のような傍流ではなく直系なので、かなり価値のある王族でしょう。

劉繇の兄は劉岱(りゅうたい)と言い、反董卓連合軍にも参加し、

侍中、兗州刺史になりますが、その後、黄巾賊を甘く見て殺されています。

劉岱の死後、黄巾賊と和解して吸収し、兗州牧になったのが曹操です。

 

関連記事:反董卓連合軍に参加したのは、誰と誰なの?【素朴な質問】

関連記事:【初心者向け】反董卓連合軍はどこに布陣していたの?




従父の劉韙を賊から奪還し名声を得る

潘璋

 

劉繇が19歳の頃、従父の劉韙(りゅうい)が賊に誘拐される事件が起こります。

三国志ではよく見るパターンですが、当時は治安が乱れ身代金目当ての

誘拐が頻繁にあったようです。

 

劉繇は賊を撃破して、劉韙を救い出し名声を得ます。

こんな事は一人で出来る事ではないので、劉繇も密かに、

命知らずの壮士を雇っていたのでしょう。

 

この事で孝廉に上げられ、郎中になり、下邑(かゆう)県長になりました。

しかし、この時、郡守が劉繇の出身が漢の王族である事を理由に

県長ポスト推薦した事が明らかになり、怒った劉繇は官を棄てて去ります。

 

「なめんじゃねぇ!俺は親の七光で上ったりせんぞ!」

 

という気概だったのか?ともあれ、劉備のように積極的に先祖の七光を

活用する者、劉繇のように機嫌を損ねる者、漢室の末裔も色々です。

 

 

郡国従事として仲常侍の子をクビにさせる

朝焼け空 f

 

その後、劉繇は郡国従事として斉南王をサポートしますが、

この斉南国の相が宦官の仲常侍の息子でした。

こいつが、その父の威光を良い事にやりたい放題のバカ息子であり、

頭に来た劉繇は斉南相のご乱行を全て朝廷に上奏します。

その甲斐あり、相はクビにされました。

 

平原の陶丘洪(とうきゅうこう)は、それを見て劉繇を茂才(ぼうさい)で

青州刺史に挙げます。

しかし、前年に劉岱を陶丘洪が挙げている事を知っていた刺史は、

 

「お主は、前年は劉岱を挙げたではないか?

今年は弟を推挙するのかね?」

 

といぶかしむと陶丘洪は、、

 

「明君の前には劉岱、後には劉繇を使いこなすならば、

二匹の龍を従えて、駿馬に乗って千里を往くようなものです。

誠に目出度い事ではありませんか!」

 

陶丘洪は、このように答えましたが、要は、劉繇も劉岱も

青州名士のスターだったので、何とか中央に送り込み

青州閥の強化に励んで欲しかったのです。

 

この頃、たまたま劉繇は、司空掾(えん)に任命され侍御史(じぎょし)に

叙されますが、何事かを感じ取ったのか任官しませんでした。

 

揚州刺史に任命され、袁術と衝突する・・

董卓えらそう 独裁

 

 

さて、劉繇が中央に行かない間に、世界は核の炎に包まれ、、

董卓(とうたく)の暴政によって帝都洛陽は焦土と化し、

世の中は群雄割拠の世紀末の時代に逆戻りしていました。

 

そんな中、劉繇は詔(みことのり)で揚州刺史に任命されてしまいます。

これまでと違い、皇帝直々の命令ですから受けないわけにもいきません。

渋々、揚州の州都である寿春に向かいますが、そこには最凶最悪の男、

袁術(えんじゅつ)が堂々と居座っていました。

 

劉繇が長江を南に渡ろうとすると、袁術一派の孫賁(そんふん)

呉景(ごけい)が攻撃を仕掛けてきたのでやむなく劉繇は、

曲阿(きょくあ)に本拠地を置きます。

 

関連記事:新事実!悪逆非道の代名詞・董卓は実は、かなりいい人だった

関連記事:呂布だけじゃない!こんなにいる董卓の優秀な側近4選

 

袁術、揚州攻略に着手し劉繇と激戦に・・

先読み袁術

 

袁術が調子に乗り、揚州を完全攻略しようと動きだすと、劉繇も腹を括り

樊能(はんのう)と張英(ちょうえい)を長江の川岸に配置して、

袁術との徹底抗戦の構えを取ります。

そこへ、孫賁、呉景が攻めよせますが、今度は樊能と張英が撃退、

破れた孫賁と呉景は歴陽(れきよう)に駐屯します。

 

怒った袁術は、揚州刺史を新しく任命して、孫賁、呉景に樊能と張英を

撃退させますが、樊能と張英はしぶとく守り、一年経過しても

破る事が出来ませんでした。

 

その間に漢の朝廷は、劉繇を揚州牧として任命し、

振武将軍の地位を与え、劉繇軍は数万になっていました。

 

どうして劉繇軍は強かったのか?

袁術

 

こうして見ると、劉繇の配下程度に手こずる袁術軍の不甲斐なさに

「な~んだ、さすが袁術の手下、大した事ないじゃん」と

ダブルで鼻をほじる人もいるかも知れません。

 

太史慈

 

しかし、実はこの頃、劉繇の下には猛将、太史慈(たいしじ)

孫邵(そんしょう)是儀(ぜぎ)を始めとする同郷の人材や、

徐州の陶謙(とうけん)と合わなくなり流れてきた鑑定人間キョショーンこと

許劭(きょしょう)そして、薛礼(せつれい)笮融(さくゆう)といった

一流の人々が流れ込んでいたのです。

 

特に、太史慈は、積極的に献策したのですが、劉繇は、

キョショーンが、あまり太史慈を評価しなかった事を気にして

太史慈を軽く見ていて、その才能を存分に使う事が出来なかったのです。

そして、まさに許劭を気にし過ぎた事で袁術の反撃を許す事態に

なってしまいました。

 

関連記事:太史慈(たいしじ)ってどんな人?孫策とマジで一騎打ちした勇将

関連記事:三国志時代には馬に乗りながら一騎打ちができなかった!?その理由とは?

 

 

袁術、孫策投入、撃破される劉繇・・

孫策

 

西暦195年、膠着状態が続く、江東の戦線に小覇王、孫策(そんさく)が投入されます。

孫策は、樊能と張英を破り膠着状態を破壊、劉繇は持ちこたえられず、

丹徒に走り、長江を南に渡って豫章(よしょう)に至り、彭沢(ほうたく)に駐屯します。

ああ、残念、こうして孫策に破れた劉繇は、二度と失地回復する事が出来ず、

没落の道を辿る事になるのです。

 

関連記事:なんで孫策と周瑜が義兄弟の契りを結んだの?その驚くべき理由とは?

関連記事:于吉(うきつ)とはどんな人?最古のメンタリスト UkiTsu!小覇王・孫策の生命を奪った仙人

 

部下に裏切られ撃退するも、劉繇病死・・

ろうそく f

 

献帝春秋によると、豫章郡では、朱皓(しゅこう)と諸葛玄(しょかつげん)が

太守の地位を争っていました。

そこで、劉繇は朱皓に味方し、西暦197年、笮融(さくゆう)に

西城の住民を扇動させ、諸葛玄を殺害、朱皓を太守の地位に就けました。

 

ところが、先に豫章城に入った笮融は、朱皓を殺害して大守を自称し、

暴政を敷いた為に、劉繇は豫章に攻め込み、一度は撃破されたものの、

二度目には笮融を破りました。

笮融は山上に逃亡、途中で民に殺害されます。

 

劉繇はようやく豫章城に入りますが、すでに病気になっており、

間も無く死去、豫章も孫賁に奪われてしまいます。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

劉繇の亡骸は意外な事に、劉繇を没落させた孫策によって

丁重に葬られ遺族へと返還されました。

それは、会稽郡の大守だった王朗(おうろう)が孫策に手紙を送り、

 

「劉繇は、孫家を憎んだのではなく、袁術との行き違いで、

意図せず敵対しただけであって恨んではいけない」

と諭したからだと言われています。

 

確かに、最初に仕掛けてきたのは袁術で、劉繇は朝廷の思惑で

揚州刺史にされただけでしたからね・・

そういう意味では、袁術のジョーカーぶりに振り回された

被害者の一人だとも言えるかも知れません。

 

関連記事:匡亭の戦いを図解で解説!袁術の華麗なる転落のプレリュード

関連記事:マイナーですまん!袁術に滅ぼされた陳王 劉寵(りゅうちょう)

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 




 

kawauso

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三度の飯の次位に歴史が大好き

10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、

好きな歴史人物:

西郷隆盛、勝海舟、劉邦、韓信、、etc

何か一言:

歴史は現在進行形、常に最新のジャンルです。

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