辛憲英(しんけんえい)。辛毗の娘として誕生。曹芳(そうほう)の時代、司馬仲達が曹爽に対してクーデターを起こします。弟である辛敞(しんしょう)は自らの取るべき行動に困り、彼女にアドバイスを求めます。彼女は弟へ曹爽と司馬仲達の間柄を説明し、現状を把握したアドバイスを行った結果、彼は身を破滅することなく寿命を全うすることになります。
さて今回は晋の時代に名将としてその名を轟かした羊祜(ようこ)へある武将が野心を持っていることを語ります。彼女は羊祜と話をした野心ある武将と一緒に出陣することになった自らの子供へ適切なアドバイスを行ったそうです。さて彼女は羊祜と自らの子供に対してどのような言葉やアドバイスを行ったのでしょうか。女性として三國志の中でもかなり賢い人に入る辛憲英のアドバイスをご紹介したいと思います。
羊祜と鍾会の話で盛り上がる
辛憲英の甥である羊祜が彼女の家へ遊びにやってきます。彼が辛憲英の家に遊びに来た数日前に司馬昭の参謀役である鍾会(しょうかい)が鎮西将軍(ちんせいしょうぐん)に任命されます。
そこで彼女は羊祜へ「鍾会はなぜ西へ向かうことになったのでしょうか。」と尋ねます。彼は「蜀を滅亡させるために西へ向かうことになるのではないのでしょうか」と叔母に自分の予想を語ります。すると彼女は羊祜へ「鍾会は事件が起きた際、自分の好き勝手に行動していることが多く、いつまでも司馬昭様の家臣として甘んじている人物ではないでしょう。
私としては彼が蜀を征伐する際、別の目的をもって行動することを恐れます。」と甥へ語ります。すると羊祜は「叔母さん。そう言う物騒なことは言わないでください」と言って注意されます。その後当時の情勢や今後の魏国の展望などを二人して語り合って、話に花を咲かせていたそうです。辛憲英は鍾会が鎮西将軍に任命されただけで、彼に野心があることを見抜いたその観察力は、名政治家顔に匹敵するものがある思いませんか。
自らの子供が鍾会に従軍するように命じられる
その後鍾会は司馬昭から命じられて蜀征伐の総司令官に任命されることになります。彼は自らの幕僚として辛憲英の息子である羊琇(ようしゅう)へ蜀討伐戦に参加するよう命令を下します。羊琇は家に帰ると母親である辛憲英へ「母さん。俺蜀討伐に行くことになったから」と報告。
彼女は息子の報告を聞いて沈鬱そうな表情で「先日甥の羊祜が来た時、鍾会が野望を持った人物であると述べました。このままあなたが鍾会の幕僚として蜀討伐戦に参加すれば、必ず災いがあなたに降りかかってくるでしょう。無駄かもしれませんが司馬昭様に蜀討伐に参加したくない意見を述べてみなさい」とアドバイスを与えます。羊琇は母親のアドバイスを受けて司馬昭へ蜀討伐戦に参加したくないことを述べます。しかし司馬昭は彼の意見を受け入れることなく蜀討伐戦に加わるよう再度命令を受けることになるのです。
辛憲英から再度アドバイスを受ける
羊琇は家に帰ると母親へ「母さん。司馬昭様に反対したけどダメだった。俺蜀討伐戦に行かなくちゃならなくなった。」とガックシして報告します。すると彼女は「こうなることはわかっていました。蜀討伐へ向かうなら魏のためにしっかりと忠誠を尽くし、職務をしっかりとこなしてきなさい。そして父と母に心配をかけないように心がけなさい。また鍾会が無謀な事をしでかすかもしれませんから気をつけないさい」と息子にアドバイスを行います。その後羊琇は鍾会の軍勢に加わって蜀討伐戦へ出陣することになります。
三国志ライター黒田レンの独り言
羊琇は鍾会が蜀を平定した後、魏に対して反乱を起こそうとします。鍾会の計画を知った羊琇は彼へ「魏に反乱を起こすのはよくありません」と強く諌めたそうです。鍾会は羊琇の言葉を受け入れることなく魏へ反乱を起こしますが、失敗に終わります。羊琇は鍾会の反乱に巻き込まれることなく魏に帰還することができ、司馬昭から侯の位を授かることになります。辛憲英の予見力・人物観察力は天才の域に入っているような気がしませんか。三国志の世界に登場した女性の中でもトップクラスに入る辛憲英をご紹介しました。
参考 ちくま文芸文庫 正史三國志魏書4 今鷹真・井波律子著など
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