劉備(りゅうび)が諸葛亮(しょかつりょう)を臣下として迎えるために三度も庵を訪ねて行ったという三顧の礼。三国志演義に描かれているその道中はあたかもレアモンスターいっぱいのダンジョンのよう。わけわからない歌を歌っている農夫。大雪なのに酒屋で高吟している世捨て人。いろんな面白人間が登場しています。中でも特に印象に残るのは、あの少年なのではないでしょうか?
この記事の目次
わざわざ訪ねてきた劉備オヤビンに対し、衝撃の一言!
半生を戦に明け暮れてきた実務派の劉備さん。自信も人脈も官位も持っている四十代後半の堂々たるオヤビンです。その彼が、自分より二十歳も年下のなんの実績も無いヒヨッ子の諸葛亮に会うために、泥んこの山道を踏み分け踏み分け、ようやく諸葛亮の庵に到着したと思いねえ。質素な門を叩くと、中から出てきた一人の童子。
オヤビンはさっそくあいさつの口上を述べたとさ。「漢左将軍、宜城亭侯、領予州牧、現屯新野、皇叔劉備、特来拝見先生」このセリフ、漢~備までの二十文字はオヤビンの肩書きです。残りの六文字が用件。「わざわざ先生にお目に掛かりに来ました。」オヤビンの立派な口上に対し、門に出てきた童子の言葉。「我記不得許多名字(そんな長い名前は覚えられないっス)」
劉備オヤビン自慢の肩書きがぺっちゃんこ
やるなあ。オヤビンの自信も地位も、たった一言でピシャリ。抜群に印象的な名ゼリフ。名も無い下働きの坊やに過ぎないのに。ご主人様を高く売るためにいい仕事をしていますね。こういう意味でしょう↓
「オヤビンさんがどんなにご立派な肩書きをお持ちか知りませんが、うちの先生にはそんなこと関係ないんで。地位にあぐらをかいてるだけのすっとこどっこいなら何度足を運んだって無駄ですぜ」このあと、劉備オヤビンが肩書きへのこだわりをあっさり捨てて、坊やに覚えやすいように「新野劉備来訪(新野(しんや)の劉備が来ました)」と言い直してあげるところは、オヤビンの懐の深さを表す美談なんですけどね。
カミソリ坊やの極秘任務!
名前が覚えられないなんて嘘。オヤビンはこれまで数年にわたって荊州(けいしゅう)の北の防衛線を担っていて、活躍しすぎて荊州の重鎮から警戒され抹殺を企てられるほどの存在感があったので、諸葛亮の友人が庵に訪ねてきて劉備の噂話をするのなんか坊やも耳タコレベルで聞いてたはずです。なのにどうしてあんなすっとぼけた発言をしたのか?
どんな立派な客人が来ようとも、あんたみたいなザコは知らねえな、っていう態度で侮辱を与え、相手がどういう態度をとるか観察してご主人様に報告するのがこの坊やの極秘任務だったのです。近隣の農夫に自分のコマーシャルソングを教え込んで歌わせていた諸葛亮ですから、庵の下働きの人たちにもお高くとまった隠士流接客マニュアルを絶対に教え込んでますって。
ご主人様に誠心誠意お仕えした挙げ句の悲劇!
いくつものトラップをクリアして、三度目の訪問でようやく諸葛亮と会えることになった劉備。最後の試練として、諸葛亮との狸寝入りど根性耐久勝負にいどみます。寝たふりをする諸葛亮、起こさずじっと待つ劉備。どのくらい待てるかで、諸葛亮は劉備の誠意をはかっています。
三時間後。こんなに長いこと待てるくらい自分のことを大事に扱ってくれるならもういいだろうと判断した諸葛亮。わざとらしく起き上がり、下働きの坊やから来客を告げられます。この時の坊やが可哀相すぎて、またまた印象に残ります。諸葛亮ったら、わざと劉備を待たせていたくせに、坊やのせいにしてこう言って叱ったんですもの。「何不早報(なぜ早く知らせなかったんだ!)」ほんとうにかわいそう。大人たちが勝手にやってた勝負で、どうしてボクが怒られるの? とばっちり!
三国志ライター よかミカンの独り言
このご主人思いの可哀相な坊やが気になってしかたなくて文章にまで書いちゃった、という人は私だけじゃありません。北方謙三さんの『三国志』にも、この坊やが登場しております。しかも、ちょい役じゃなくて、かなり重要な格好いい役で出ています。彼の張飛とのてんまつがまた沁みるんだな~、これが。可哀相な少年に注目して、想像力を働かせてしっかりと描いてみる。こういう細やかな目線から、北方謙三さんの優しさがよく分りますね。これまた美談であります。
了
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