井伊直弼の実像!写真で見る悪人顔の[謎]

2026年9月30日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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井伊直弼

 

井伊直弼(いい なおすけ)は彦根藩の藩政改革を行った事がきっかけで

吉田松陰(よしだ しょういん)から名君と言われる程、優秀な人物でした。

それほどまでに井伊直弼は優秀な人材だったわけですが、

桜田門外で水戸藩士の襲撃を受けて亡くなってしまいます。

 

そんな直弼ですが彼の写真は存在するのでしょうか。

また彼は安政の大獄(あんせいのたいごく)で多くの有能な人を政治の場から一掃した悪役として有名ですが、

本当に悪人顔だったのでしょうか。

今回は彼の素顔について迫ってみたいと思います。

 

幕末最大のヒール井伊直弼に写真はあるの!?

 

井伊直弼は幕末悪役のとして有名です。どうして井伊直弼は悪役として有名なのか。

それは安政の大獄と呼ばれる大弾圧を行ったからです。

 

安政の大獄とは一体何なのでしょうか。

簡単に説明すると安政5年から始まった幕府の大老・井伊直弼が、

14第将軍の後継争いの問題を解決するために行った事件。

この事件は最終的に幕府反対派も巻き込まれ、

吉田松陰など幕府反対派が命を落とすことになった大弾圧事件です。

 

この事件の結果、井伊直弼は幕末の悪役として歴史に刻まれることになり、

井伊の赤鬼として恐れられることになります。

奇しくも彦根藩の創始者・井伊直政(いい なおまさ)と同じ呼び名で恐れられることになるとは

井伊直弼も思っていなかったでしょう。

戦国武将

 

さてこの悪役・井伊直弼ですが写真は残っているのでしょうか。

残念ながら直弼の写真はありません。

しかし肖像画は残っています。

井伊直弼の肖像画を見る限り、結講悪そうな顔をしています。

 

悪人顔の井伊直弼の肖像画は誰が書いたの??

(画像:井伊直弼Wikipedia)

 

井伊直弼の写真は残っていませんが、肖像画が残っています。

井伊直弼の肖像画を拝見する限りかなり悪そうな顔をしていますが、

いったい誰がこの肖像画を書いたのでしょうか。

 

井伊直弼の肖像画を書いたのは井伊直弼の三男・井伊直安(いい なおやす)です。

彼は日本画と洋画を学び、洋風画法を用いて井伊直弼の肖像画を書いています。

 

 

井伊直弼はイケメン!?子孫の顔で比較してみる

(画像:井伊直憲Wikipedia)

 

井伊直弼の写真は残っていませんが、彼の息子の写真は残っています。

井伊直弼の息子井伊直憲(いい なおのり)は明治維新後も生き残り、伯爵になっています。

 

井伊直憲は写真が残っており、目元がキリっとしています。

直憲はレンから見たらかなりイケメンで、優しそうで素朴な雰囲気を醸しだし、

ちょっと羨ましい印象を受けました。

 

井伊直憲のパパ・井伊直弼は彦根藩を改革した敏腕政治家であり、

幕府に反対する政治家や思想家たちを弾圧した恐ろしい人物ですが、

風貌は息子に似て素朴で優しい人物だったのかもしれません。

 

結論!!井伊直弼は悪人顔ではなく厳しい顔つきなだけだった

キレる井伊直弼

 

井伊直弼は元々は穏やかな顔つきだったのではないのでしょうか。

井伊直弼が彦根藩の幕政改革をしていた時は、

かなりの効果を上げて藩政を立て直すことに成功しています。

吉田松陰も井伊直弼の政治手腕を認めて名君と評価しています。

 

また彦根藩では領民が帰ってきた直弼を迎えていたそうです。

もし井伊直弼が悪人の顔だったら領民が彼を慕って、温かく迎えるとは思えません。

この逸話から考えるにレンは井伊直弼が幕政の舵取りをし始めてから段々と厳しい顔つきになり、

悪人顔になったと思うのは、彼を庇い過ぎでしょうか。

 

幕末ライター黒田レンの独り言

黒田レン

 

今回は井伊直弼の素顔についてご紹介しました。

井伊直弼は幕末の厳しい情勢の中で幕府の為に色々な決断を行わなければならず、

かなりのストレスを抱えていたと思われます。

そのため直弼の穏やかな顔つきがストレスのせいで厳しい顔つきになる程、

幕末の時代が大変だったと考えれば、井伊直弼の苦労を少しは慮る事が出来るのではないのでしょうか。

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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