最近の高市早苗経済安全保障担当大臣もそうですが、日本社会はあやまったら死ぬ病で溢れていて、もはや21世紀日本の国民病と称しても間違いありません。当人の意固地として過小評価される「あやまったら死ぬ病」ですが、実際は民主政治の根幹を揺るがす最大の害悪なのです。
民主政治は修正する政治である
そもそも日本では、どうして間接民主政を採用し4年、あるいは6年に一度選挙によって代議士を選び直すのでしょうか?それは、特定の期間において代議士によって組織される政府与党がなにをしてきたかをチェックするためです。そして中身が悪ければ代議士は落選し、よければ続投という事になりますが、政治が悪かった場合、それまでの政策は見直され修正される事になります。絶えず政策を見直してよりよいモノに変える為に、日本では国民の投票で権力者が選ばれるわけです。
関連記事:ルソーの社会契約論とは?民主主義の聖典は独裁の教科書でもあった!
あやまったら死ぬ病は民主政治の自殺である
民主政治の利点は独裁専制と違い、クーデターを起こさないでも政策の修正が可能であるという点です。そのため代議士は、自分達がなした政策について可能な限り内容をオープンにして国民に開示し、誤りや不透明な部分があれば、ただちに訂正、謝罪し、修正しないといけません。
しかし、あやまったら死ぬ病が蔓延すると国民にオープンにすべき文書を黒塗りにしたり、あろうことか内容を捏造したり、改竄したりします。それらは全て、謝りたくない、責任を取らされたくない、自分のプライドを傷つけたくないという私心の爆発であり、誤りがあればただちに謝罪し、修正するという民主政の利点を打ち壊す自殺行為なのです。
何かあれば辞めろという風潮も問題
ただし、明らかな法律違反の不正や国民の権利を不当に縛るような行動でない限り、舌禍も含めてなんでもかんでも辞めろと叫ぶしか能がない野党やマスコミの姿勢も、あやまったら死ぬ病に拍車をかけています。国会は言論の府なんですから、辞めろというまえに徹底的に議論すべきです。
▼こちらもどうぞ