NHK大河ドラマ「どうする家康」第12話では、戦国時代の名門今川氏の滅亡が描かれます。この記事では、今川氏の拠点であった駿府落城の経緯と、その影響について解説します。
武田信玄が駿河を狙う
桶狭間の戦いで当主であった今川義元を失った後、今川氏は急速に衰えていきますが、甲駿同盟は健在でした。しかし、武田信玄は川中島の戦いが膠着していることから、にわかに外交方針を転換し、謙信と和睦し駿河の海を奪取するために今川領に攻め込みます。
織田家と婚姻関係を結び家康と同盟する信玄
武田信玄は、今川へ侵攻する事に反対する嫡男の武田義信を廃嫡し、諏訪勝頼を嫡男とし、正室に織田信長の養女・龍勝院を迎えます。また、徳川家康とも盟約を結び、駿河を武田領、遠江を徳川領とすることで合意しました。
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氏真の対抗策と今川氏の滅亡
氏真は、武田に対抗するために上杉謙信と和睦し、北条氏康と協力して甲斐への塩の輸出を禁止する経済制裁を行いました。武田と今川の対立は激化し、永禄11年(1568年)に武田は駿河への侵攻を開始します。氏真は、薩埵峠で武田軍を迎撃するために出陣しますが、駿河の有力国人が武田に通じていたため、今川軍は敗北し、駿府も陥落します。
駿府落城の影響
駿府落城は、今川氏にとって致命的な打撃となりました。今川氏は、駿河・遠江両国を失い、東海道に通じる交通の要所が奪われ戦国大名としては滅亡します。駿府落城の影響は、戦国時代の東海地方にも大きく及びました。武田信玄は、今川氏を滅ぼすことで東海地方の覇権を握り、さらに遠江への進出を画策。また、徳川家康も遠江を手中に収めた事で武田氏との衝突を余儀なくされるのです。
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