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戦国時代が日本の観光地を多様で面白くした

2023年5月3日


 

東京スカイツリー、kawausoさん

 

日本を訪れた観光客が驚くのは、それほど広くない日本に多様な地域文化が残っている事なのだそうです。そして、日本に多様な地域文化が残っている理由は戦国時代を経験した事が大きいのです。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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戦国時代は地方の時代だった

戦国時代の合戦シーン(兵士モブ用)

 

どうして戦国時代を経験した日本に多様な地域文化が残っているのか?それは、戦国大名が大和朝廷や室町幕府とは別に、支配している領国に適応した独自のルールを作成して地域の発展に寄与した事が挙げられます。戦国時代以前、日本は大和朝廷が定めた律令制によって統治され、かなり緩やかながら中央集権の名残が残っていました。国司にせよ受領にせよ、領地と直接の関係はないので、税金を取る以外、統治に熱心ではなく、諸国は大体似たような文化が広がっていたのです。

真田丸 武田信玄

 

しかし、戦国大名というのは、その領国のみが経済の基盤なので、それまでの支配者とは比較にならないほど領民の声に耳を傾け、地域の特産物を見出し、領国が豊かになるように尽力します。それが日本各地に多様な文化を産んだのです。

 

自国観光が下火な韓国

 

日本とは逆に朝鮮半島では、1392年から1897年まで李氏朝鮮という単一王朝が中央集権制を敷いて、朝鮮八道と呼ばれる行政区域を置いていました。しかし画一的統治なので、それぞれのエリアでは独自の文化というものは、あまり育ちませんでした。

 

実際に、現在の韓国では、国土が日本の1/4と狭い事もありますが、国内旅行はあまり変わり映えがしないとして人気がありません。唯一済州島くらいが離島で独自の文化があるだけで、あとは温泉が湧いているわけでもないし、つまらないと言うのです。コロナ禍の頃は、それでも国内しか旅行できないので我慢していましたが海外旅行が解禁になると日本行きの航空チケットはあっという間にソールドアウトになったそうです。

 

 

政治体制が産んだ多様な文化

オンライン授業の講師を務めるkawauso編集長

 

戦国時代以後も、徳川幕府は直轄領として400万石を保有しながら、それ以外の土地については、戦国大名に統治を許し、全国に300近い藩が誕生しました。そういう意味では江戸時代もローカルな時代であり、明治まで300年培ったローカル統治が、現在の日本の観光資源として機能しているのです。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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