日本を訪れた観光客が驚くのは、それほど広くない日本に多様な地域文化が残っている事なのだそうです。そして、日本に多様な地域文化が残っている理由は戦国時代を経験した事が大きいのです。
戦国時代は地方の時代だった
どうして戦国時代を経験した日本に多様な地域文化が残っているのか?それは、戦国大名が大和朝廷や室町幕府とは別に、支配している領国に適応した独自のルールを作成して地域の発展に寄与した事が挙げられます。戦国時代以前、日本は大和朝廷が定めた律令制によって統治され、かなり緩やかながら中央集権の名残が残っていました。国司にせよ受領にせよ、領地と直接の関係はないので、税金を取る以外、統治に熱心ではなく、諸国は大体似たような文化が広がっていたのです。
しかし、戦国大名というのは、その領国のみが経済の基盤なので、それまでの支配者とは比較にならないほど領民の声に耳を傾け、地域の特産物を見出し、領国が豊かになるように尽力します。それが日本各地に多様な文化を産んだのです。
自国観光が下火な韓国
日本とは逆に朝鮮半島では、1392年から1897年まで李氏朝鮮という単一王朝が中央集権制を敷いて、朝鮮八道と呼ばれる行政区域を置いていました。しかし画一的統治なので、それぞれのエリアでは独自の文化というものは、あまり育ちませんでした。
実際に、現在の韓国では、国土が日本の1/4と狭い事もありますが、国内旅行はあまり変わり映えがしないとして人気がありません。唯一済州島くらいが離島で独自の文化があるだけで、あとは温泉が湧いているわけでもないし、つまらないと言うのです。コロナ禍の頃は、それでも国内しか旅行できないので我慢していましたが海外旅行が解禁になると日本行きの航空チケットはあっという間にソールドアウトになったそうです。
政治体制が産んだ多様な文化
戦国時代以後も、徳川幕府は直轄領として400万石を保有しながら、それ以外の土地については、戦国大名に統治を許し、全国に300近い藩が誕生しました。そういう意味では江戸時代もローカルな時代であり、明治まで300年培ったローカル統治が、現在の日本の観光資源として機能しているのです。
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