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魯粛の血脈、子孫もまた[優秀]なのか?

2024年4月1日


魯粛

 

孫呉の大都督として活躍した魯粛(ろしゅく)

 

呉志(呉書)_書類

 

呉書は魯粛を「方正謹厳で、自らを飾ることが少なく、その生活は内外共に質素だった。軍旅の合間にも、書物を読み、思慮は遠くに及んで、人並み優れた明察力を備えていた。周瑜(しゅうゆ)亡き後の呉を代表する人物であった」と評価を下しています。このように高い評価を得ていた魯粛ですが、息子や孫も優秀な人だったのでしょうか。今回は魯粛の息子や孫を紹介したいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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魯粛死す

魯粛が亡くなり悲しむ孫権と孔明

 

魯粛は46歳という若い頃になくなってしまいます孫権(そんけん)は周瑜亡き後、孫呉の国に多大な貢献をしてきた魯粛が亡くなると大いに気を落としてしまいますが、彼のために盛大な葬儀を執り行ったそうです。孫呉の家臣達は魯粛の死を心から悼んだそうです。魯粛は国内の人気も高かったのですが、国外からも人気があり、彼を悼んでいた人がいました。

 

 

考える諸葛亮孔明

 

 

それは蜀の諸葛孔明(しょかつこうめい)です。彼も魯粛が亡くなったと聞いて大いに驚き、彼の死を心のそこから悲しんで喪に服していたそうです。そして魯粛が亡くなってから数日後彼の息子があとを継ぐことになります。

 

 

 

魯粛の息子も優秀だった

魯淑

 

 

魯粛の息子の名前を魯淑(ろしゅく)と言います

 

彼も青年時代から優秀な人物として同年代の子供たちや彼を知る大人達から期待をかけられていたそうです。たぶん魯粛も彼には大いに期待していたのではないのでしょうか。そして魯粛の死後、彼があとを継ぐことになるのでした。

 

 

 

孫呉の重鎮の息子も認めた軍事の才能

呉の国境を守る魯淑

 

魯淑は青年時代から優秀だったと上記で記しました。彼の才能を優秀だと見抜いた人物がいます。その人物の名を張承(ちょうしょう)といいます。この張承ですが、孫呉の重鎮で孫権へ常に厳しいアドバイスをしていた張昭(ちょうしょう)の息子さんです。この張承ですが、魯淑が優秀だと見抜き彼が濡須(じゅしゅ)の守備から異動することになります。張承はこの時「いずれ魯淑がこの地を守り魏軍を打ち破ってくれるであろう」と予言を残して異動していくのでした。

 

 

魯淑が濡須 の守備隊長へ

張承

 

魯淑は魯粛のあとをついで仕事をこなしていき、出世していくことになります。そして張承の予言どおり、魯淑は濡須の守備隊を率いる立場になります。

 

魏の軍勢は魯淑が守備隊を率いて守っている間は攻めてくることがなかったそうです。張承の予言は半分は外れてしまいますが(あるいは彼が優秀であったため攻めてこなかったことを考えればあたっていたかもしれませんが)、もう半分はしっかりと当たっており、魯淑が軍事指揮に関しても優秀な才能を見せていたことをあらわしていると思います。

 

 

統治力も優れている

長安

 

魯淑は軍事の才能だけでなく統治にも優れた能力を発揮していました

 

魯淑が統治した土地はしっかりと法律を守って厳しく統治していたそうです。この結果、盗賊などが魯淑の治めていた土地ではほとんど出現しなかったそうです。このように軍事・統治両方の能力を兼ね備えていた人でした。父・魯粛に負けるとも劣らない能力を発揮したといえるのではないのでしょうか。

 

 

魯粛の孫は優秀なの??

 

では魯粛の孫はどうだったのでしょうか。魯粛の孫は魯睦(ろぼく)と言います。彼は正史三国志にほとんど記載がありませんが、魯淑死後、彼の後を継いで兵馬を預かり、爵位も継承したとあります。そのためそれなりに優秀な人だったのではないのかなと考えることができるでしょう。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

三国志には父が優秀で息子も優秀な二代目武将が登場します。魯淑の息子も上記にしっかりと該当していると言えるでしょう。しかし魯粛の孫がどれくらいすごい人だったのかわからないので、優秀なんかわかりませんが、たぶん優秀だったんじゃないかなと思いたいところです。

 

参考 【正史三国志呉書】など

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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