三国志平話
濡須口の戦い




はじめての三国志

menu

はじめての呉

三国志を否定するのは呉の張昭?三国間の不毛な争いを終わらせようとした政治家




 

魏、呉、蜀が互いに帝位を称して争ったのが三国志です。

そこには魏には魏の、呉には呉の、蜀には蜀の大義名分あったことでしょう。

それぞれの国の臣が個性を活かし、己の信念をぶつけて国の発展に寄与しました。

しかし誰もがこの三国並立の時代を望んでいたわけではありません。

多くの人々が無駄な流血に嫌気がさし、争いのない平和な生活を願望していました。

つまり三国並立よりも天下統一を求めていたのです。

 

 

今回はそんな人々の象徴である呉の張昭(ちょうしょう)に迫りたいと思います。

 

はじめての三国志全記事一覧はこちら

関連記事:領土割譲という大事件、三国成立は魯粛の目論見?




孫権に師傅の礼で遇される

 

呉の創業者たる孫策は、かつて張昭を迎え入れるときに、

わざわざ張昭の母親のもとに挨拶に訪れたといいます。

そして軍事・政治の一切を張昭にゆだねたのです。

そして自らの死に臨んで、弟である孫権の後見になるよういい残しました。

孫権が適任でなかったら張昭がそれにとって代わるようにも指示しています。

孫策の絶大な信頼を得ていた張昭は、孫権に帝王学を学ばせるため叱咤激励を繰り返しました。

張昭は孫権を立派なリーダーに育てるべく妥協せずに改善点を指摘し続けたのです。

もちろん孫権も腹を立てることもありましたが、

張昭の言い分はいつも正論であり、孫権はなかなか言い返せません。

まさに師と弟子のような関係性とも見て取れます。




超頑固者の張昭

 

とはいっても孫権は主君です。

普通はそこまで意地になって諫言したりしないだろうということも、張昭は妥協をしません。

特に北方の公孫淵が呉に臣従したいと交渉にきたときには孫権と張昭は感情的にぶつかり合います。

主君の考えを聞いても一歩も退かない張昭に孫権は怒りが爆発。

対して張昭は涙ながらにあくまでも孫権のために忠告しているのだと答えました。

結局、孫権は自分の考えを押し通すのですが、すると今度は張昭が怒って参内しなくなりました。

孫権は立腹し、張昭の屋敷の門を土でふさぎました。

それに対し、張昭も内側から土を盛ってふさいだのです。

怒り心頭の孫権は屋敷に火を放ちます。それでも張昭は頑として家から出ませんでした。

最終的には張昭の息子たちが張昭を救い、孫権も自らの不明を詫びて一件落着します。

張昭の強情さはまさに三国志登場人物一でしょう。

 

丞相職の椅子

 

孫権が丞相職を設けたとき、臣下はみな張昭を推しました。

しかし丞相になったのは孫卲(そんしょう)でした。

その孫卲が亡くなった後、またも臣下は丞相に張昭を推しましたが、

孫権は別の人物・顧雍を丞相に任じました。

孫権が言うには、張昭は強情すぎるため、

意見が通らなかったら大きなトラブルが起こることが予想されるから丞相にはしないとのことでした。

しかし、その理由は別にあったというのが通説です。

それは西暦208年ごろの出来事に由来しています。

 

降伏派筆頭の張昭

 

西暦208年は孫権にとって未曽有の危機を迎えた年になります。

曹操の大軍が荊州を占領し、孫権の領土目指して進軍してきたのです。

あまりの大軍相手でしたから臣下の意見も大きく分かれました。

周瑜魯粛をはじめとする徹底抗戦派と張昭を筆頭とする降伏派です。

みなさんがご存知の通り周瑜の意見が孫権に受け入れられ、

赤壁の戦いとなるわけですが、このとき周瑜魯粛に反論したのが張昭でした。

孫権はそれをずっと引きずっていたというわけです。

孫権が帝位についたとき、

「もし張昭の意見を聞いていたら今頃はわしは飯を恵んでもらっている立場だっただろう」

と公衆の面前で張昭を皮肉ったそうです。

張昭は官位と所領を返上しました。

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

 

赤壁の戦いの際のやり取りを見て、張昭を腰抜けと判断される方も多いと思います。

張昭の意見が通っていたとしたら孫権は滅びていましたし、劉備が再興することもなかったでしょう。

曹操は天下を統一していたはずです。

そもそも三国志が成り立たない話になります。

しかし民衆のことを考え、三国間のその後の不毛な戦の連続を見ていると、

それが一番平和的な解決であり、多くの命を救う政治的な決断だったと思います。

張昭はそんな平和を願う人々の象徴だったのです。

張昭の志は一段も二段も高いところにあったのかもしれません。

 

みなさんはどうお考えですか。

 

■記事の内容に関するお問い合わせ(誤植等のご報告など)はこちら

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:天才魯粛の生涯!赤壁の勝利は魯粛無しにはあり得なかった?

関連記事:ひでえ!!孫権を騙して魏と戦わせた魯粛と周瑜が腹黒過ぎる

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 




 

ろひもと理穂

ろひもと理穂

投稿者の記事一覧

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。

自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください!

好きな歴史人物:

曹操、蒲生氏郷

何か一言:

袁術は凄いひとだったかもしれませんよー!!

関連記事

  1. 【三国ブレイズ 攻略1】シンプルで超絶面白い三国志ゲーム
  2. 五人で国を創るとしたら誰を選ぶ?三国志この五人でしょコーナー
  3. 【袁術特集】孫家に吸収された袁術の子孫たちはどうなったの?
  4. 呉の小覇王・孫策 孫策(そんさく)とはどんな人?たった26年の生涯を駆け抜けた小覇…
  5. 劉備と張松(ちょうしょう) 張松(ちょうしょう)の裏切りがなければ劉備の蜀制圧は不可能だった…
  6. 領土割譲という大事件、三国成立は魯粛の目論見?
  7. 袁術が天下を獲るためにみんなで考えよう【第3回】
  8. スーパーエリート袁術!理由はファミリーにあり?スーパー名家を探る…

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

  1. キングダム53巻
  2. 真田丸 武田信玄
  3. 城銅雀台

おすすめ記事

  1. 関羽はお金の神様?風水における関羽像について 関帝廟 関羽
  2. もし郭嘉が魏の建国まで長生きしていたら魏の内閣総理大臣になっていた?
  3. 鎌倉幕府(時代)の役職や政治や執権のまとめ一覧 鎌倉時代 服装 男女
  4. 集まれ曹操の25人の息子たち・その1 曹丕
  5. 【山崎の戦い敗因】明智光秀は長雨の為に秀吉に敗北した! 裏切りそうな悪い顔をしている明智光秀
  6. 【出師の表】本当は全く泣けない実用文だった!

三國志雑学

“はじめての三国志150万PV" はじめての三国志コミュニティ総合トピック
“広告募集"

はじめての三国志 書籍情報

朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ (桃園出版 三国舎)

著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

  1. 遅れて来た孫権 英雄
  2. バナー はじめての三国志コミュニティ300×250

おすすめ記事

【週間まとめ】はじめての三国志ニュース24記事【5/22〜5/28】 ペリーとプチャーチン日本を研究した二人から日本人の弱点を探る 邪馬台国と魏軍の兵士 冊封(さくほう)とはどういう意味?分かりやすく解説 【三国志あるある】懐かしい!と思った人は40代!昭和では当たり前だった三国志事情 西郷従道 幕末 台湾出兵とは?明治政府最初の海外出兵を分かりやすく解説 桜田門外の変とは何?桜田門外の変を簡単に解説 124話:曹休、憤死!!石亭の戦いと孫権の即位 すっぱーーーーー 許褚 ゆるキャラ 曹操にまつわる梅林の話は本当なの?梅干しが曹操軍を救う?

おすすめ記事

  1. 本当は好きなんでしょ?一騎当千の最低男、呂布の最強伝説
  2. 【はじめての孫子】第1回 そもそも孫子って、何? 孫子の兵法 曹操
  3. キングダム584話ネタバレ予想vol2鄴攻めは覚醒者を集める実験場だった!
  4. iOS向けゲームアプリ『みんなの三国志@ボーシム研』が配信開始! 簡単操作の本格シミュレーション
  5. kawauso編集長のぼやきVol.17「編集長として大事にしている事」
  6. 「杞憂」の出典は『列子』意外に長くてちょっぴり哲学 袁術
  7. 孫権はなぜ孫策の子息を冷遇したの?それは孫権が袁術を愛していたから? 袁術と孫策
  8. 【官渡の戦い前哨戦】文醜はどうして敗北することになったの?

はじさん企画

袁術祭り
李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
まだ漢王朝で消耗してるの?
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
編集長日記
はじめての三国志TV
“曹操孟徳" “黄巾賊" “赤壁の戦い" “THE一騎打ち" “夷陵の戦い" “kawausoのぼやき記事" “よかミカンのブラック三国志"
“水滸伝"

“三国志人物事典"

PAGE TOP