戦国時代に現在の東海地方を領有していた戦国大名・今川義元。
織田信長と桶狭間の戦いで戦い敗北してしまった武将です。
三国志に登場する河北の覇者・袁紹。彼は曹操と官渡の戦いで決戦を行い敗北し、その後病にかかってなくなってしまいます。このふたりには多くの共通点があるのをごぞんですか。今回はふたりの共通点をご紹介したいと思います。
この記事の目次
三国志の袁紹と戦国時代の今川義元の類似点とは
三国志の袁紹と戦国時代の大名・今川義元には多くの類似点があります。三国志や戦国時代において名門である事はかなり有利でした。例えば名門であれば多くの人材が名門の元に集まってきますし、世間的にも高評価されることが多いです。袁紹は名門袁家の出身で四代に渡って三公(後漢王朝の最上位の官位)を輩出した家柄です。
今川義元も元々今川家が将軍家(足利将軍)との分家であり、名門と言われるにふさわしい家柄の当主です。このように二人には類似点が多く、今回は上記以外のふたりの似ているところをご紹介してきたいと思います。
袁紹と今川義元の類似点その1:比較的有利な状況だった
袁紹と今川義元の類似点その1は比較的有利な状況だった事です。三国志の袁紹の本拠地は中国北部で、比較的有利な所を本拠地にしていました。袁紹は中国北部を本拠地にしていた事がどうして有利なのか。それは強力な群雄が公孫瓚くらいしかいなかったことです。
そして公孫瓚を倒して領土を奪った後、強力な群雄達は全て南にいた為、戦が絶えず起きていた状況じゃありませんでした。戦争が無いと言う事は、内政や兵士の訓練に時間を多くあてる事ができ、領民達も戦争で土地を荒らされる事がないので、三国時代の他の土地と比較すると比較的に有利な状況にいたと言えるでしょう。
また今川義元も東海地方を領有していた事で比較的に有利な状況だったと言えるでしょう。東海地方には海があり、この海を使って貿易を行い国力を増やす事が出来ました。
また近隣の武田・北条と同盟を結んだ後は、東にしか敵対する大名が居なくなった事で戦争がなくなり、国力を増強させる時間をたくさん得ることができます。三国時代や戦国時代に比較的に有利な条件を手に入れていた所は似ている所と言えるでしょう。
袁紹と今川義元の類似点その2:大兵力を持っていた
袁紹と今川義元の類似点その2は大兵力を持っていた事です。三国志の袁紹は河北を全て自分の領土にした後、曹操軍と官渡で決戦を行います。正史三国志では官渡決戦の時に袁紹が率いていった軍勢は10万程と言われいます。この時に10万ですから領土を守る兵力を入れるともっと多くの兵を袁紹が持っていたと思われます。このように大兵力を持っていた袁紹ですが、今川義元も大兵力を持っていたのでしょうか。
今川義元もかなりの大軍を持っていたと思われます。今川義元は有名な桶狭間の戦いの時に、率いていた兵数は四万五千と言われております(信長公記から引用)。これだけの大軍をもし本当に今川義元が保有していたとすれば、かなりの大軍を有していた戦国大名と言えるでしょう。そして二人の共通点にこの大兵力を有していた事が当てはまると思われます。
袁紹と今川義元の類似点その3:天才と戦って敗北
袁紹と今川義元の類似点その3は天才と戦って敗北です。袁紹は戦術家として天才の域に入っていた曹操に敗北してしまいます。また今川義元も独創的な考え方を持ち、ある種の天才と言われていた織田信長に敗北しています。この点もふたりの共通点であると言えるでしょう。
三国志ライター黒田レンの独り言
袁紹と今川義元は結構似ている所の多い群雄だったように思われます。更に袁紹は蒼天航路や三國無双で登場しており、今川義元も戦国無双や戦国BASARA、センゴク等のマンガに登場しています。今川義元は信長の野望でかなりイケメンのグラフィックで描かれています。上記の点も二人の共通点として挙げることが出来ると思います。
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