曹操のライバルとして立ちはだかった袁紹ですが、有能な人物だったのでしょうか。それとも袁紹はマンガやゲーム等のように優柔不断な武将だったのでしょうか。今回は袁紹が名門の名将だったのか。それとも優柔不断な残念な武将だったのかをご紹介したいと思います。
名門袁家に生まれた袁紹の性格は
袁紹は名門と呼ばれる袁家に生まれますが、一体どのような性格だったのでしょうか。曹操は袁紹を「志は大きくても知恵が無く、顔つきは厳しいがキモが小さく、人を妬んでばっかりな奴で威厳にかけている。」と評価しています。
また荀彧は「人を集めることができてもそれを活用する能力にかけているから結局宝の持ち腐れでしょう」と袁紹を評価しています。他にも色々な人が袁紹を評価していますが、どれも性格的にあまりよくない評価ばかりです。これらをまとめると知恵がなく、小心者で、嫉妬深く、威厳にかけて、決断力にかける人物というのは袁紹の性格らしいです。
袁紹は有能な人物だったの
上記で袁紹の性格が酷評でしたが、袁紹は有能な人物だったのでしょうか。袁紹は多分有能な人物であったと思います。その理由は河北四州を統治していたからです。
三国志の時代多かれ少なかれ反乱がどこの地方起きていました。袁紹はこの反乱を見事に治めて河北四州を統治することに成功しています。また袁紹は北方異民族に対して宥和政策を行い、彼らを抑えることにも成功しております。そのため一概に彼がダメな人であるとは言い難く、政治面においてはそれなりに優秀な人物であったと言えるのではないのでしょうか。
蒼天航路の袁紹は?
ではマンガの袁紹は一体どんな風に書かれているのでしょうか。蒼天航路の袁紹は曹操に翻弄される残念な人物として描かれていますが、官渡の戦いの時には覚醒し、優しい人物で細かい所を気にしないおおらかな人物として描かれています。
正史三国志の袁紹の評価とは
正史三国志では袁紹の評価をどのように下しているのでしょうか。正史三国志の作者・陳寿は「袁紹の威容は堂々としており、名声は天下に轟き、河北に割拠した」と意外と高評価を与えています。そんな高評価を与えた陳寿ですがこの評価はまだ前半で、続きがありました。
陳寿は上記の後に「しかし、外面は寛大に振舞いながら内面は猜疑心が強く、謀を好みながら決断力に欠けていた。また、優れた人物がいても用いることができず、忠言を聴いても実行できなかった。長子を廃して庶子を後継ぎにしようと考え、礼儀を捨て個人の情を重んじた。だからその死後、子孫が困窮し領地を失ったのは当然であった」と
前半で袁紹が喜びそうな言葉を散りばめながら、後半でガックシと落とす評価を彼に与えていました。しかし袁紹はやっぱり前半部分でもそれなりに高評価を陳寿から得ている事から、それなりに優秀な人物だったと思うのですが、皆様はどのように思いますか。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は袁紹が名将かそれとも優柔不断な人物なのかをご紹介しました。袁紹は優柔不断なのか。それとも名将なのでしょうか。袁紹は名将とはとても言い難いですし、優柔不断な面もあります。
しかし袁紹を戦ではなく統治者として見るのであれば、曹操に官渡で敗北する前には河北四州をしっかりと治めて反乱をほとんど起こさせていない平和な状態を作り出していたため、統治者としてはそれなりに優秀な人物だったと思います。そして結論としてはトップとして民衆や部下を率いるのではなく、誰か優秀な人物の下で働く文官としてならば、かなりの力を発揮する武将なのではないのかなと思います。皆様はどのように思いますか。
参考 ちくま学芸文庫 正史三国志魏書等
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