本能寺の変の本当の黒幕説と並び、最近浸透してきた説に聖徳太子はいなかった説があります。詳しくは知らなくても、テレビやyoutubeで耳にした方は多いのではないでしょうか?今回は聖徳太子はいなかった説を歴史初心者でも分かるようにザックリ解説します。
聖徳太子はいないけど厩戸王はいた
聖徳太子はいなかった説とは、1999年大山誠一が「聖徳太子の誕生」で唱えた説です。実際には、それ以前から聖徳太子の存在に懐疑的な人はいましたが、分かりやすくするために大山説で統一します。大山説をザックリ解説すると、飛鳥時代には聖徳太子のモデルになった厩戸王子という有力王族はいたものの、彼の功績は斑鳩寺を建立した程度で、推古天皇の摂政として遣隋使を派遣したり、十七条憲法を書いたり、冠位十二階を定めた事実はないとします。
聖徳太子は後世に造られたフィクション
では、現在広まっている聖徳太子は誰なのでしょうか?大山説では、西暦720年に編纂された日本書紀において、当時の権力者、藤原不比等や長屋王、唐から帰国した僧、道慈が生み出した架空の人物が聖徳太子だとします。どうして不比等などが架空の聖徳太子を産み出したのかというと、天皇の権力に神聖性を持たせるため、過去に聖徳太子と呼ばれる中国相手にも一歩も引かない外交をした偉人がいたと対外的にPRするためだそうです。つまり、大山説では厩戸王という聖徳太子のモデルはいたが、彼は聖徳太子と呼ばれるような立派な業績を挙げたわけではなく、それらは藤原不比等や長屋王の創作だと言うわけです。
聖徳太子伝説には虚構があるが太子は実在
一方で、大山誠一説に批判的な学者は、聖徳太子の伝説に多くの誇張がある事を認めています。それこそ聖徳太子は一度に10人の人の声を聞き取り正確に返事を返したという逸話は現代人から見ても俄かには信じがたいですよね。ただし、誇張はあるものの、推古天皇の摂政である聖徳太子そのものは実在し、それは飛鳥時代の有力豪族、厩戸王子だとしているのが大山説との相違点です。
少なくとも厩戸王子は実在
事実として、十七条憲法も冠位十二階もそれが確かに聖徳太子の考えた事なのか?という点においては、初出が日本書紀であり、聖徳太子の死後、100年近く経過した後の文献なので間違いなく聖徳太子の事績とは言い切れません。日本書紀以外の太子実在を示す証拠についても、その成立年代について論争があり完全に決着がついたとは言い難いものです。ただ、聖徳太子が実在すると考える学者も、実在しないと考える学者も、そのモデルになった厩戸王子については誰も否定していません。この点を踏まえないと、聖徳太子にはモデルも存在しない全てでっち上げだとする、学者は誰も主張していない暴論になってしまいますよ。
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