長安を脱出した献帝(けんてい)を曹操(そうそう)が保護し、潁川郡の許昌を都とした建安元年(196年)の頃は、群雄たちによる熾烈な戦闘が各地で発生しています。特に曹操は四方に敵を抱えており、連戦に次ぐ連戦と遠征で兵糧不足は慢性化し、将兵は疲弊していました。今回はそんな危機的状況を救った曹操の知恵をご紹介しましょう。
三国志演義では曹操は梅林があると嘘をついた?
水が尽きたら戦闘どころではありません。行軍すらままならないのです。実際に真夏の遠征中に曹操軍はそのような危機に陥っています。止まれば自滅、生きるためには進まなければなりません。しかし曹操は兵士を脅して無理やり進ませるようなことはしません。味方の士気が大きく低下するためです。
そこで曹操は一計を案じて「この先に梅林があるぞ」と兵士たちに伝えました。兵士たちは梅をイメージすることで一時的でも喉の渇きを忘れることができ、目的地に到達することができました。戦争に勝利するためには、時には嘘も方便だということでしょう。
梅林止渇の意味は?
このエピソードが故事となり、「梅林止渇」という四文字熟語が生まれました。要するに「現状の問題を打開するために他の何かを利用して一時的にしのぐ」という意味になります。宋の時代に編纂された「世説新語」にはこのようなエピソードが多数紹介されています。孔融(こうゆう)や鍾会(しょうかい)の話も登場しますが、曹操の梅林止渇はこの中では、他人を巧みにあざむいた話として「仮譎篇」に記載されています。
梅を望んで渇きを止むの意味は?
梅林止渇と内容は同じです。ただし、この場合は詭弁を弄して相手をだますというよりも、人はイメージすることによって多少の困難は克服することが可能であるというポジティブな意味合いとして後世に伝わっています。
「もう水源が近いぞ」でも兵士を元気づけられると思うのですが、曹操はあえて水という言葉を口に出しませんでした。より渇きを覚えるからでしょう。「小梅の熟した林があるぞ」と伝えたところにポイントがあります。梅をイメージすることで兵士は唾をわかせたために、実際に渇きを忘れることができたのです。イメージの力は凄いですね。現代でも気分や環境で不治の病が快方に向かったという話は耳にします。ポジティブなイメージはそれだけ人を元気にし、限界以上の力を発揮させることができるのかもしれません。
曹操の小升
同じような話に「曹操の小升」というものがあります。兵糧不足に困っていた曹操は兵糧管理の者に小さな升を使うように指示します。これにより兵糧の減りはかなり抑えることができました。しかし配給が減ったために兵士からは当然のように不平不満が出てきます。命をかけて戦っているのに満足に飯も食べられないのです。下手をすると暴動に発生するような事態です。
ここで曹操は兵糧管理の者に「お前の首がほしい」と言って、その者を処刑し、兵糧の横領の罪を着せて穏便に事態を鎮めています。まさに梅林止渇と同様で、現状の問題を打開するために他の何かを利用して一時的にしのいだのです。敵であっても優秀な人材を配下として起用する曹操の思考もこの延長戦上にあるのかもしれませんね。利用するものは徹底的に利用するという冷酷なまでの合理性です。
三国志ライターろひもとの独り言
ありとあらゆる知恵を活用し、工夫しなければ耐えきることができないほどに曹操軍は激戦を繰り広げていたわけです。並みの君主ではとても生き残ることはできなかったでしょう。
呂布(りょふ)か袁術(えんじゅつ)か袁紹(えんしょう)か劉表(りゅうひょう)にあっさりと滅ぼされていたはずです。曹操だからこそこれだけの勢力を相手にして戦い抜けたのです。敵味方のメンタル面も巧みに操り、味方の士気を上げたり、敵の士気を下げるような戦術も多用したことでしょう。曹操はやはりしたたかですね。
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