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[三国志・左慈]物理法則を超える力!『列子』でその秘密を解明

2024年11月26日


鱸魚を釣る左慈

 

三国志(さんごくし)にでてくる方術士の左慈(さじ)。『後漢書(ごかんしょ)』には、曹操(そうそう)の追っ手から逃れる左慈のアンビリーバボウな逃走方法が記されています。

 

生姜を買ってくる左慈と曹操

 

・曹操に殺されそうになり、壁の中に入って消える

・市場で追っ手に見つかると、市場にいた人々を自分とおんなじ見た目に変えてまぎれる

・羊の群(むれ)に逃げ込んだ時、追っ手から「もう殺そうとしません。あなたの術を試したかっただけです」と言われると、たくさんの羊たちに二本足で立ち上がらせて「どうして急にそんなことを?」と言わせ、まどわせる

 

水滸伝って何? 書類や本

 

どうして左慈にはこんなことができたのでしょうか。道教の思想書『列子』の中に、その説明になりそうな部分を見つけました。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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列禦寇(れつぎよこう)先生の疑問

 

その部分は『列子』黄帝篇にあります。まずは列子こと列禦寇(れつぎよこう)先生が関尹子という人にこう質問します。

 

「道」を体得した至〔徳の〕人は、水中にもぐっても息がつまらず、火中に入っても焼けどもせず、万物をはるかに見おろす高見(高い所)を歩いてもびくともしないとのことですが、いったいどうすれば、このような境地にまでなれるのでしょうか。

 

もっともな疑問です。私もそれを知りたいです。関尹子の答えをみてみましょう。

 

それは人間が本来もっている純粋の気を失わずにもちつづけているからであって、決して知恵や才覚・勇気や決断などのたぐいのもので到達できるのではない。まあ坐るがよい。お前に少し話してあげよう。

 

はい。ぜひうかがいたいです。

 

 

我々がふだん知覚できるものは、真の実在ではない

 

左慈みたいなことは知恵、才覚、勇気、決断のたぐいでできることではないとのこと。じゃあ一体どんな努力をすればいいのでしょうか。教えてチョ、関尹子。

 

およそ姿(貌)や形(像)・声や色などを持っているものは、すべて物と呼ばれる現象なのである。

それ故、現象である物と他の物とでは、〔たとえば人間と他の禽獣草木のように〕互いにひとしく物であって、みな現象の世界に属しているのだから、大した違いはないのだ。

だから、この現象界に属している物が、どうして天地万物の根源である「道」の世界に到達することなどできようか。

これら物はあくまでも色(しき)すなわち単なる現象にすぎぬ存在であって、真の実在ではないのだ。

 

なるほどー、我々がふだん知覚できるものは、真の実在ではないということですか。

 

 

 

「道」は物質世界とは異次元のもの

 

続きをうかがってみましょう。

 

真の実在である「道」は、形なき世界に有形の万物を創造(ルビ:つくりな)して、〔それに姿や形・声や色などを与え、〕おのれ自身は生成変化することのない絶対の境地にひっそりと静まりかえっている存在なのである。

いったいこの「道」を体得して究めつくしたほどの人物ともなると、〔もはや現象としての単なる存在(物)ではない、だから、〕何ものでも彼をばこの現象の俗界にひき止めておくことなどはとてもできないのである。

 

なるほどー、真の実在が「道」なんですね。で、「道」は物や現象を生み出す根本、ってことでしょうか。そして、「道」を体得して究めつくした人物なら物や現象を生み出す根本が分かっているから、物理法則を超越できるってことなんですね?

 

 

三国志ライター よかミカンの独り言

三国志ライター よかミカンさん

 

左慈が物理法則を超越したようなことができたのは、きっと「道」を体得しているからなのでしょう。どうやって「道」を体得するのか、「道」とはどういうものなのか、よく分かりませんが……。最後に関尹子が「道」を体得した人の様子について説明している部分を引用します。

 

このような「道」の体得者である至人(しじん)は、自然にそむかぬ正しい節度の中に身をおき、始め終わりのけじめのない無窮の真理に身をひそめ、万物がそこから生じてまたそこに帰ってくる根源の世界に悠々自適し、おのれの本性を専一に保ち、おのれの純〔粋の〕気をよく養い、そうして得た徳を深く内にたくわえて外に現わさず、かくして万物をつくり成す造化の絶妙な世界にも自由に往来(ゆきき)しうるほどなのである。

 

もはや人間じゃないみたいな感じですね。左慈もこういう存在だったのかな、と想像してみると、あらためて、恐ろしい人物だなぁという気がいたします。

 

参考: 小林勝人訳注 『列子』 岩波文庫 1987年1月29日

※記事の中で引用した文章はこの本によりました。

 

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よかミカン

よかミカン

三国志好きが高じて会社を辞めて中国に留学したことのある夢見がちな成人です。 個人のサイトで三国志のおバカ小説を書いております。 三国志小説『ショッケンひにほゆ』 【劉備も関羽も張飛も出てこない! 三国志 蜀の北伐最前線おバカ日記】 何か一言: 皆様にたくさん三国志を読んで頂きたいという思いから わざとうさんくさい記事ばかりを書いています。 妄想は妄想、偏見は偏見、とはっきり分かるように書くことが私の良心です。 読んで下さった方が こんなわけないだろうと思ってつい三国志を読み返してしまうような記事を書きたいです!

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