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刀削麺の誕生秘話!モンゴル支配下の[漢族料理]

2024年12月16日


 

 

中国北部では古くから粉食が盛んでした。青海省の喇家遺跡(らつかいせき)では四千年前のものと思われる麺の化石が発見されています。そんなに長い歴史があるのなら、現在私たちが目にするような麺は三国志の時代にはぜんぶとっくにあっただろう、と思いきや、「刀削麺(とうしょうめん)」の歴史は意外に浅いのですね。

 

モンゴル兵(蒙古兵)のモブ(兵士)

 

 

元(げん)王朝(1271年~1368年)設立前、モンゴルが漢族支配を進める過程で生まれたものだそうです。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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刀削麺はどういう麺?

 

刀削麺は、小麦粉をこねて作った生地を冬瓜のような楕円形にまとめ、それを外側から刃物で細長く削いでいき麺状にしたものです。生地から削いだ麺をダイレクトにお湯の中に落として茹でます。

 

調理人が煮えたぎった鍋の前に立ち、片手にまあるい生地を構え、もう片方の手で刃物を繰って鮮やかに麺を削ぎ、削がれた麺が次々と宙を舞い鍋の中のお湯に入っていく様はとっても芸術的。職人は麺の茹であがりの固さを考えながら、最初に鍋に落とす麺は太めに、最後のほうは細めに削るそうです。小麦粉料理の種類が豊富なことで知られる山西省の名物料理です。(「知られる」と書きましたが、どの程度の認知度があるのやら??)

 

 

刀削麺を削る刃物は、独特の形

 

伝統的な刀削麺はふつうの包丁で削ぐのではなく、くの字型の独特の金属片を使って削ぎます。こうして削がれた麺は真ん中が分厚く、ふちのほうは薄く波打ったような形になり、分厚い部分でモチモチとした食感を味わうことができ、ふちの薄い部分で唇にじゃれつくような食感を楽しむことができます。

 

ふちが波打つことでタレやつゆもからみやすくなり絶妙な旨さです。この楽しい味わいを生み出す独特の刃物に、モンゴルの漢族支配にまつわる物語があるのです。

 

 

刀削麺はじめて物語

 

むかぁしむかし(1222年)、モンゴルの将軍ムカリが数万の騎兵で太原(たいげん)を占領した時のこと。漢族たちは武器を持たない者も包丁を手に取りモンゴル人に抵抗しました。そこで、モンゴル人は太原一帯に厳しい限刀政策をしきました。全ての家の金属を一つ残らず没収し、料理用の包丁は十軒に1本だけ順番こで使わせることとし、使い終わったらモンゴル人に返してモンゴル人が保管するようにしたのです。

 

そんなある日のこと、おばあさんがお昼ご飯に手延べ麺を作ろうと生地をこね、おじいさんに包丁を借りに行ってもらいましたが、他の人が先に借りていて、順番待ちの行列がズラリ。おじいさんはしかたなくそのまま家に帰ることにしました。モンゴル人の屋敷の門を出る時に、おじいさんの足に一枚の薄い鉄片がぶつかりました。おじいさんはなにげなく鉄片を拾い、懐に入れて持ち帰りました。家に着くと、お鍋はグツグツと煮立っており、家族みんなが麺を切って料理してもらうのを待っていました。包丁を借りてこられなかったとは言い出しづらいおじいさん。

 

あせっていると、ふと、さっき拾った鉄片のことを思い出しました。おもむろに鉄片を取り出し、おばあさんにこう言います。「この鉄片で麺を切ってみようや」おばあさんは鉄片が薄くて柔らかいのを見てぶつぶつと言いました。「こんな柔らかいものでどうやって生地をカットするのさ」おじいさんはぷりぷりしながら言いました。「カットできなけりゃぶち切ってやるまでだい」ぶち切ると聞いてひらめいたおばあさん、生地を板の上に置き、左手で支え、右手に鉄片を持ち、煮立った鍋の前に立ち、一片また一片と、生地をぶち切って鍋に落としていきました。

 

ゆであがった麺をお椀に入れ、つゆをかけておじいさんに食べさせると、おじいさんは「うまいうまい」と言いながらもりもり食べました。その後は麺を切る時に包丁を借りなくてもよくなりました。この話が一人から十人、十人から百人と伝わり、晋(しん:山西省付近)の大地にあまねく伝わりましたとさ。

 

 

三国志ライター よかミカンの独り言

三国志ライター よかミカンさん

 

モンゴル人の厳しい支配を受けたというつらい歴史から、芸術的でおいしい名物料理が誕生したんですね。刀削麺を召し上がる機会がありましたら、こしのある麺をかみしめながら山西人のたくましさに思いを馳せてみられるのも一興かもしれません。ちなみに、私は刀削麺を食べたくなったら強力粉と薄力粉を一対一でブレンドして適当にこねて作って食べます。適当に作ってもめっちゃうまいですよ。刀削麺、最高!

 

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よかミカン

三国志好きが高じて会社を辞めて中国に留学したことのある夢見がちな成人です。 個人のサイトで三国志のおバカ小説を書いております。 三国志小説『ショッケンひにほゆ』 【劉備も関羽も張飛も出てこない! 三国志 蜀の北伐最前線おバカ日記】 何か一言: 皆様にたくさん三国志を読んで頂きたいという思いから わざとうさんくさい記事ばかりを書いています。 妄想は妄想、偏見は偏見、とはっきり分かるように書くことが私の良心です。 読んで下さった方が こんなわけないだろうと思ってつい三国志を読み返してしまうような記事を書きたいです!

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