ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく「ろひもと理穂の三国志・本当の三国志」のコーナーです。
三国志で一番謎めいた人物といえば「劉備玄徳」かもしれません。僻地の小豪族の身分から旗上げし、転戦に転戦を重ねて益州を支配して漢中王となり、蜀漢を自称し、皇帝に即位するのです。
凡人でないことは確かですが、どのような点が優れていたのかは不明確です。よく仁君、人徳の英雄と呼ばれますが、益州を奪った行為は仁義に劣ります。曹操を攻めるのではなく、関羽の敵討ちで孫権を攻めて大敗しているわけですから、最期まで漢王室の復興に尽くしたわけでもないですね。
そんな劉備を支え続けたのが、「関羽雲長」と「張飛益徳」です。この三人はまさに三位一体の如く常に行動を共にし、苦労を分かち合います。そこには主従関係を超越したものが確かにあったのでしょう。「三国志演義」ではこの三人は義兄弟の契りを交わしたことになっています。それが「桃園の誓い」という創作を生みました。
義兄弟の理想像
昔から中国では義兄弟の契りを結ぶのが流行していたようです。特に宋や元の時代には、官兵や賊徒だけでなく、商人の間にもこの習慣が広まっています。「三国志正史」にも劉備と関羽・張飛の関係は兄弟のようであったと記されていますから、宋や元の時代に義兄弟の理想像とされたものと考えられています。
そして明の羅貫中、清の毛宗崗らがさらに印象を強めるべく脚色し、「三国志演義」の中に「桃園の誓い」という場面を設けたのでしょう。
「同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、同年、同月、同日に死せん事を願わん」というフレーズは有名です。劉備はその言葉どおりに、すべてを棄てて関羽の敵討ちに出陣しています。これに感銘を受けて義兄弟の契りを結んだ戦国武将もいたのではないでしょうか。
関羽と張飛がいなかったどうなっていたのか?
桃園の誓いがなかったら、という話は、「関羽と張飛がいなかったら」というのと同義です。二人の武勇なくして劉備の活躍はなかったはずです。義勇兵を募って旗上げしたのはいいですが、黄巾の賊徒相手に劉備はあっさりと討ち死にしていたかもしれません。
皇帝になるどころか、群雄の一人として注目されることもなかったのではないでしょうか。小さな勢力であり、さらにここまで負け続けながらも曹操に滅ぼされることもなく、最後まで生き残ったことは奇跡ともいえます。その奇跡を引き起こしたのが、関羽、張飛であり、劉備・関羽・張飛の兄弟同然の関係だったのです。
三人が義兄弟ではなかったら?
「三国志正史」には義兄弟ではなかったとは記されていないので、本当に三人は義兄弟の契りを結んでいたのかもしれません。三人が義によって結びつき、圧倒的に不利な状態から這い上がっていく姿が三国志の魅力の一つです。これを応援することで三国志の世界に引き込まれた方も大勢いると思います。もし劉備と関羽・張飛が単なる主従関係だったら、三国志の盛り上がりも半減ですね。義の在り方を追及するからこそ、三国志はここまで長い年月ブームになっているのでしょう。
三国志ライター ろひもと理穂の独り言
ということで、「桃園の誓いがなかったら劉備がどうなっていたのか」ということ以上に、「桃園の誓いがなかったら三国志人気がどうなっていたのか」という点で、私は問題を感じます。三国志の史実、真実を追求しようとする三国志ファンもいらっしゃると思いますが、正史が真実を書いていると決まっているわけでもありません。
本当は桃園の誓いはあったのか、なかったのか・・・。真実はわかりませんが、読んでワクワクする三国志、私たちの生き方に問いかけてくる三国志、そんな初心に戻って三国志を楽しむこともいいかもしれませんね。
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