蘇秦(そしん)は秦に圧力をかけるために結成した六か国同盟成立に多大な功績を残します。
その後秦は六か国同盟の圧力により、十五年の間、各国に攻め入る事が出来ず、
無為な時間を過ごします。
秦が攻めてこない間、各国は平和を謳歌します。
その後秦の策略により、六か国同盟が瓦解。
趙の粛侯は斉・魏の軍勢に趙の領土が奪われた事により、蘇秦を責めます。
彼は粛侯を恐れ、趙国から逃げ出し、燕王の元へ向かう事になります。
前回記事:蘇秦(そしん)とはどんな人?秦の圧力を跳ね返す為、六国を結び付けた合従論者 Part.2
この記事の目次
斉に十城を取られる
蘇秦は燕に逃げ込むことに成功し、燕の文侯に匿われます。
彼が燕に逃げ込んだ年に、燕の文侯が亡くなります。
そして文侯の太子である易(い)が跡を継ぎ、易王として立ちます。
燕の易王(えきおう)は父の喪に服します。
斉の宣王(せんおう)は燕の易王が喪に服している隙をついて、
燕の城を十城も陥落させます。
蘇秦に恩を返すように要求する
易王は斉の宣王の盗賊みたいなやり方に激怒。
すぐに蘇秦を呼び「先年、あなたが我が国に来た時、
先王はあなたを援助し、趙へ向かわせた事がきっかけで
あなたは六か国同盟を締結させる偉業を成し遂げました。
しかし今、斉が趙に攻撃をかけ、我が国にも侵略してきております。
あなたは我が国の恩に報いる為、奪われた城を返すことができますか。」と
易王は恩を返せと言わんばかりに言い立てます。
蘇秦は「分かりました。先王から受けた恩を返す為、
奪われた城を斉から取り戻してきます」と述べます。
そして彼は従者を連れて斉の首都臨淄に乗り込みます。
燕王ミッション:奪われた城を取り戻せ
蘇秦は斉の首都臨淄に乗り込み斉の宣王に会うとまず祝いの言葉を述べます。
そして間髪入れずに弔の言葉を述べます。
宣王は驚き「あなたはなぜ祝いの言葉の後に、お悔みの言葉を述べたのだ」と
不思議そうに尋ねます。
すると彼は「燕は戦国七雄の中でも、最弱国でありながら、
現在の燕王は秦王の娘を娶っております。
そんな燕の城を十城も手に入れた斉王様は、
強国である秦に目を付けられてしまいました。
その為いつ秦が斉に攻め込んできてもおかしくない状態になりましたので
お悔やみの言葉を述べたのです。」と答えます。
斉王は蘇秦の言葉を聞いて大いに驚き、
「私は大変な事をしてしまった。先生よ。
私はこれからどう対処すればよいかご教授願えないだろうか」と教えを請います。
蘇秦は「分かりました」と答え、斉王に意見を述べます・
彼は「まず燕から奪い取った城を返還する事です。
奪い取った燕の城を返還すれば、燕は大いに喜ぶ事は間違いなしです。
また秦も自らの国の国威によって城を返したと満足しますので、
かの国が斉に攻めてくることはありますまい。
世間では斉が秦にビビッて燕に城を返したと思うでしょうが、
実は斉王の度量の大きさを天下に知らしめた事になり、
燕・秦は斉に友誼(ゆうぎ)を求めてくるに違いなく、
この二国が斉に友誼を求めて来たと知った他の国は、
争って斉に交友関係を求めてきましょう。
この策を俗にいう「覇王の策」と申します。
斉王様どうか私の策を聞き入れ、危機を回避してください」とアドバイスを与えます。
宣王は蘇秦の策を聞いて満足し、「分かったあなたのアドバイスを聞き入れよう」と
頷き、燕から奪った城を返還します。
蘇秦はこうして一滴の地も流さず、城を奪い返すことに成功。
見事燕王のミッションを完遂し、燕に帰国します。
易王の信任を得る
蘇秦は燕に帰ると、一時易王に疑われ、元の官職に戻されずにおりました。
蘇秦は易王のミッションをクリアしたのに、官職を与えない仕打ちに激怒。
彼は得意の弁舌で易王に説教を行います。
蘇秦の説教を聞いた易王は彼を元の官職に戻し、彼を大いに信任し、
彼を厚遇します。
こうして燕王の信任を得た蘇秦は一つの間違いを犯します。
はじさんクイズ
蘇秦は調子に乗って絶対にやってはいけない事をしてしまいます。
久しぶりにやってきました。はじさんクイズです。
さて今回は蘇秦がやってはいけない事をしてしまいます。
それは一体何でしょう。
難しいので、ヒントです。
男女間の問題です。
次の三つからお答えください
1人の女を寝取る
2人の物を盗む
3王の重臣を殺害
さて~正解は……。
一番です。
蘇秦は易王の母親と恋仲になり、彼女と密通します。
この事に感づいていた易王ですが、知らぬふりをして、蘇秦を厚遇します。
蘇秦は易王が感づいていると気づき、燕を離れる事を決意。
易王に「私は燕の国益を図るため、斉に向かいたいと思います。」と述べます。
すると易王は「あなたの好きなように行いなさい」と承諾し、
彼を斉に向かわせます。
三国志ライター黒田廉の独り言
蘇秦は六か国同盟を行った外交家として名声を得た事で、
どの国の王も彼の言葉を信じ、すぐに採用します。
このような名声を得た蘇秦の唯一の失敗が易王の母親との密通です。
彼女は先代の文侯夫人であるらしいので相当な年であると思われますが、
史記には彼女の年齢が書いていないので分かりません…。
しかし歴史に名を残した人物が今はやりの女性スキャンダルで失敗するとは
少し残念でなりません。
皆さんは車裂きの刑という刑罰を知っていますか。
この刑罰は人の四肢を馬車に括り付け、馬車を一気に発車させる事で五体が
バラバラに裂かれる刑罰の事です。
この刑罰を蘇秦が志願して受けます。
なぜ彼は車裂きの刑を志願したのでしょうか。
無能な王・湣王にも厚遇される
斉の宣王が亡くなると、斉の歴代の君主の中でも
相当な無能な王と言われた湣王が君主に就きます。
蘇秦は宣王が亡くなると湣王に「王よ。先代の葬式を派手にやるべきだと思います。
そうする事で、天下の諸侯から「孝行な王だ」と示すことになります。
広大な敷地の中に高い宮殿を立て、弔うべきです。」と進言。
湣王は蘇秦の進言を受け入れ、宣王の葬儀を盛大に行います。
なぜ蘇秦はこのような進言を行ったのか
蘇秦は斉の先代である宣王に厚遇され、
湣王にも信用されているのに、
なぜこのような浪費を行うよう進言を行ったのでしょうか。
その理由は燕の為です。
斉を経済的に弱らせることで、燕に攻撃を行わせないようにするため、
このような浪費を宣王に進言したのです。
他にも蘇秦は斉を弱らせる為、湣王に様々な浪費を行うように進言します。
こうして斉は少しずつ内側から、弱っていく事になります。
刺客に襲われる
蘇秦は進言を行い続けた事で、湣王から信任を得る事になります。
蘇秦が湣王に信任されればされるほど、以前から斉に忠義を尽くしてきた
臣下からの嫉妬を受ける事になります。
こうして他の臣下から嫉妬を受けた蘇秦は、刺客に襲われます。
この刺客は蘇秦を刺し、重傷を負わせますが、命を奪う事はできませんでした。
蘇秦は手当てを受け何とか、回復していきます。
蘇秦の最後の願い
蘇秦は傷がある程度いえると病身を押して、湣王に拝謁します。
湣王は心配し「大丈夫か」と尋ねます。
蘇秦は息も絶え絶えで頷くと、湣王に「もし私が無くなったら、
車裂きの刑を行い、各国でこのように宣伝してください。
『蘇秦は燕の為に斉で乱を引き起こそうとした、謀反人だ』と。
そうすればすぐに私を刺した犯人が出てくる事でしょう。」と述べます。
その後蘇秦は亡くなり、湣王は彼の遺言に従い、
彼の遺体を車裂きの刑に処します。
すると彼を刺した犯人が出頭してきます。
湣王は彼を刺した犯人を即座に死刑にします。
こうして蘇秦は斉の国力を低下させることに気付かれないまま亡くなります。
三国志ライター黒田廉の独り言
蘇秦は自分の策略がばれる前に亡くなります。
しかし一つ疑問なのがなぜ、車裂きの刑を受けたのでしょうか。
史記にはその理由が書いておりませんでした。
その為推測するしかありません。
私が思うに、厚遇してくれた斉の宣王と湣王の謝罪の為ではないかと思います。
蘇秦は斉の宣王の時代に亡命し、彼を厚遇します。
しかし彼はこの当時から少しずつ斉を内部的に弱らせていきます。
そして湣王の時代には記事にも書きましたが、膨大な資金を使って、
宣王の葬式を行い、斉の国力を低下させます。
また彼は燕・斉・趙・韓・魏の連合軍を形成し、秦へ侵攻させますが、
連合軍は秦軍に敗北。
こうして斉の国力を少しづつ低下させる策は
燕の為に行っておりました。
蘇秦は厚遇してくれた湣王を騙し続けた贖罪の意を込めて、
車裂きの刑を行うように遺言を残したように私は推察します。
こうして斉の国力を弱らせた蘇秦の策は着実に実を結び、
燕は斉に復讐するべく牙を研ぎ続けます。
そしてひとりの敗残の将が燕の将軍となった事で、復讐の機会が訪れます。
その敗残の将とは楽毅です。
彼が燕の将軍となった事がきっかけで燕の復讐が始まります。
余談が過ぎましたが、燕の復讐を敵国に身を置いて行った
蘇秦は胆力に満ち溢れた外交家として歴史に名を刻む事になります。
「今回の春秋戦国時代のお話はこれでおしまいにゃ。
次回もまた初めての三国志でお会いしましょう。
それじゃまたにゃ~。」