三国志演義では、献帝(けんてい)を擁立して、傍若無人に振る舞う曹操(そうそう)を殺し漢の天下を回復しようと計画された曹操暗殺計画。こちらは、史実にもある曹操暗殺計画を脚色したものです。この計画の中心人物こそが、董承(とうしょう)であり、彼は演義では献帝の忠臣として描かれています。ですが、その秘密保持の欠片もない計画はダダ漏れで、あっという間に、曹操にバレ、董承は殺されてしまいます。
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董承の本妻公認の愛人という立場だった雲英(うんえい)
董承(とうしょう)には、本妻以外にも、妾つまり愛人がいました。三国志の時代には、士(庶民以上の地位)は、本妻以外にも妾を持つ事が許されていて、董承はその習慣に従ったのでしょう。その妾は、名を雲英と言いました、おそらく美女だったのでしょうが、かなり浮気な女性だったようです。
美少年、秦慶童と深い仲になってしまう 雲英
董承は仕事で忙しかったのか、或いは、別にも愛人がいたのか分かりませんが、あまり雲英に構ってはいられなかったようです。そこで、雲英は、同じく、董承の家に雇われていた使用人の、秦慶童(しんけいどう)と親しくなり恋人の関係になったようです。この秦慶童は、大変な美少年であったようで、雲英は、たちまちの間に彼に夢中になっていきます。
雲英と秦慶童の密会は、すぐにバレてしまう
しかし、いかに広い屋敷とはいえ、旦那の愛人と使用人の密会なんて、バレない方がおかしいというものです。ほどなく密告を受けた董承は、二人が密会している現場に踏み込んで、二人を縛りあげます。
董承「この売女と間男が!!わしの顔に泥を塗りおって許さぬ!!」
董承は、激怒して、両者を殺害しようとします。雲英と秦慶童は、命の危機に立たされますが、ここで董承の妻が止めに入ります。董承の妻、自分の旦那の寵愛を受けている愛人の危機なのにやけに寛大です。もしかして、個人的な可哀想という心情より、
「董家の旦那は、愛人を使用人に寝取られて殺してしまった」
という世間の噂が立つのを恐れたのかも知れません。
或いは、秦慶童と雲英が密会しているのを董承に告げたのは、実は妻で、その為に二人が殺されるのは、流石に良心が咎めたのか・・妻に世間体を含めて説得された董承は、それでも怒りがおさまらないので、杖で40回二人を打つという、刑罰で事を治めてしまいます。
悲報!董承、曹操暗殺計画を雲英に喋っていた!
本来なら、これは当時もよくあった、愛人関係のトラブルで終わった事です。ところが、秦慶童の場合には、それでは終わりませんでした。実は、董承は、信じられない程に口が軽い男で、自分の愛人である雲英とベッドを共にしている時に、、
「わしは、間もなく、逆臣曹操を暗殺して、さらに高い地位に登るのだぜ~ ワイルドだろぅ?」
などと自慢気にしゃべっていたようです。(馬鹿か?)雲英は、その事を夢中になっていた秦慶童にも喋っていました。つまり、極秘に進めないといけない暗殺計画はダダ漏れだったのです。
秦慶童、杖で叩かれた事を恨み、曹操に計画を暴露
杖で叩かれ、雲英とも引き離され仕事もクビになった秦慶童の取る方法は、一つしかありませんでした。そう、曹操暗殺計画という一番の特ダネを曹操に売り込み、その見返りとして、褒美をもらう事です。曹操は、秦慶童の訴えを最初は半信半疑で聞いていましたが、無関係の人間では知りようがない計画に加担している人間の事まで秦慶童が喋ったので、これは間違いないと確信します。
曹操、董承と秦慶童がゲロした計画の関係者をおびき出す
曹操は、これら曹操絶対殺すマンリストに登場した人間、すなわち、董承、王子服(おうしふく)、呉子蘭(ごしらん)、种輯(ちゅうい)、呉碩(ごせき)、馬騰(ばとう)、それに、曹操の主侍医だった吉平(きっぺい)を、宴会にかこつけて呼び出します。ここには、劉備(りゅうび)も一枚噛んでいますが、運が良い劉備は、曹操の命令で、袁術(えんじゅつ)討伐に向かっていて不在でした。
曹操は、のこのことやってきた関係者を全員拘束して、暗殺計画に関係したかどうかを執拗に追及します。そして、証拠不十分の馬騰と異変を察知して逃亡した劉備を除いて、それ以外のすべてを処刑してしまいます。特に、董承については、しらを切りまくる彼に、杖で叩かれた傷跡も生々しい秦慶童を出してきて、洗いざらい暴露したので、董承も観念するしかありませんでした。
曹操は、董承の一族を皆殺しにし、献帝の妃だった、董承の娘、董貴妃(とうきひ)も妊娠していたにも関わらず絞殺しました。自分に背く人間には容赦しない、曹操の冷酷さが出た対応です。
疑問、秦慶童はその後、どうなったのか?
これが、三国志演義における、曹操暗殺計画の顛末ですが、不思議な事に、大手柄の秦慶童のその後が描かれていません。こんな主人を裏切るような事をするからには、慶童には、何か、大きな見返りを求める下心があった筈です。普通に考えると、恋仲の雲英を妻にくれとか、遊んで暮らせるだけの大金が欲しいとか、曹操に要求しても、おかしくはないのに、どうして何も伝えられないのでしょうか?
その後の曹操暗殺事件とダブるから、秦慶童の最後は省かれた?
実は、私は、秦慶童と雲英の一族は、曹操に殺されたのだと考えています。その理由は、この事件の12年後に起きた、黄奎(こうけい)と馬騰による曹操暗殺計画の筋と、殆ど内容がダブるからです。
12年後の曹操討伐の計画では、献帝の宮廷の黄門侍郎(こうもんじろう)だった黄奎に曹操討伐を誘われた馬騰が計画に加わりますが、黄奎の使用人の苗沢(びょうたく)という男が、実は、黄奎の愛人の李春香(り・しゅんこう)と恋人関係でした。
苗沢は、李春香と結婚したいと考えていて、李春香に、「黄奎の秘密を聞き出して、俺に報告するように」と言い含めます。そこで、李春香は黄奎に色々話を振り、黄奎は迂闊にも、曹操討伐計画の詳細を喋ってしまうのです。もちろん、苗沢は、大喜びで事件を曹操にタレこみ、馬騰と黄奎は一族皆殺しの運命になります。
苗沢は、曹操に、「褒美として、李春香と結婚させて欲しい」と懇願しますが、曹操は眉を吊り上げて、
「自分の主を欲の為に裏切るような人間は生かしておけぬ」
と苗沢と李春香の一族も皆殺しにしてしまうのです。
この苗沢と李春香の場面は、三国志演義の第57回、そして、雲英と秦慶童の回は、第23回、そこまで離れていませんし結末も殆ど同じです。なので、演義の作者達は、内容の重複を嫌い、秦慶童と雲英の、最後をまるっと削除したのだと思われます。
三国志ライターkawausoの独り言
省略された、秦慶童と雲英の最後については、つまり、内容がどうあれ、主を裏切るような、間男と愛人の末路にろくな事はないんだよ!!
という事が、当時の中国の人々の一般常識になっていたのだろうと推測します。あえて、秦慶童と雲英の末路を書かなくても、その後の苗沢と李春香の最後で想像できたのでしょう。まあ、ただ、秦慶童と熱愛していただけの、雲英の一族まで皆殺しにされたとすれば、演義のフィクションとは言え、可哀想にはなりますね。
本日も三国志の話題をご馳走様です。
今回の記事は大戦乱!!三国志バトル」コラボ特別記事